ローリングあざらし撲殺活動記録

その軌跡。議事録。文章置き場。その他なんでも。

2023.3/4(土) ハムレット会前夜⑥ハムレットのスピンオフ作品紹介

 

ハムレット』のスピンオフ作品紹介

 

『クローディアスの日記』志賀直哉

○月○日 といったように、クローディアスが書いた日記、という形式の短編小説。

クローディアスは兄王を殺していない(と、少なくともこの日記の中では言っている)

反面、ガートルードに対しては兄の生前から強い恋愛感情を抱き続けていて、兄の死後、ガートルードと結婚したできたことを喜び、それを断行ができた自分に強い誇りを感じている。

なぜかハムレットを高く評価しており、ポローニアスを低く見ている。しかし、芝居を見て、ハムレットが兄殺しを疑っていることを知って激怒する。どんだけ物語脳なんだ、この演技的人格野郎! ポローニアスも殺されるし、いよいよ、やつをイギリス送りにするしかない。この計がうまくいけばいいが、というところで日記は途切れている。

 

スピンオフ&原作改編ものとしてはすごくシンプルな構造。でも日記って著者の言っていることが真実か全く信用できないので、その辺を考えるともうちょっと複雑な作品かも。

 

 

『新ハムレット太宰治

ほとんどセリフだけで構成されている戯曲形式の中編小説。本人はレーゼドラマ(上演ではなく読むための戯曲)だと言っている。ハムレットの登場人物の名を借りた妄想にすぎない。みたいな作者の言い訳から始まる。

とにかく長台詞の応酬で、ハムレットの登場人物がぺらぺらぺらぺら無限に喋る。ポローニアスのレイティアーズに対する説教の場面とか、本編よりも長い。登場人物みんな、太宰の小説に出てくるっぽいの口調で喋り、物の見方や感じ方も太宰っぽい。(ねちねちと持って回った言い方。自虐。言い訳に次ぐ言い訳。人間不信。まじめに生きたいのに、世界が私にひどい。)

終わりが中途で、綺麗にまとまっていないことも含めて、習作的な、私的要素の強い作品だなぁという印象。読み終わった瞬間の感想は「すっごい駄作!」

でも、こんなすっごい駄作を惜しみなく読者の目に晒してくれる太宰ってやっぱいい作家だなと好感度が高まった。

改変の例として、登場人物を現代人っぽくすると、行動のダイナミズムがなくなり、話が小さくなってしまう、という発見があった。

 

↓『新ハムレット』はこういう感じ

 

ポロ「レヤチーズも、これから、人に褒められたいばかりに、さまざま努力するだろうが、そんな時に、世の中の人、全部があれを軽薄に褒めても、わしだけは、仲々に褒めてやるまい。早く褒められると、早く満足してしまう。わしだけは、いつまでも気むずかしい顔をしていよう。かえって侮辱をしてやろう。しかし、最後には必ず褒めます。謂わば、最高の褒め役になろう。大いに褒める。天に聞えるほどの大声で褒める。その時あれは、いままで努力して来てよかったと思うだろう。生きている事を神さまに感謝するだろう。わしは、その、最後に褒める大声になりたくて、どうしても百九歳、いや百八歳でもよい、それまで生きているように心掛けて来たものだが、このごろ、それが、ひどくばからしくなって来た。褒めたくてもこらえて小言をいうのは、怒りたいところを我慢するのと、同じくらいに、つらいものです。そんなつらい役は、お父さんでなければ引き受ける人はあるまい。親馬鹿というんだね。親の慾だ。お父さんは、レヤチーズを、うんと、もっと立派にさせたくて、そんなつらい役をも引き受けようと、思っていたんだが、なんだか、このごろ、淋しくなった。いや、お父さんは、まだまだ、これからもお前たちには、こごとを言いますよ。さっきも、レヤチーズには、あんなに口うるさく、こごとを言いました。けれども、言った後で、お父さんは、ふっと心細くなるのです。つまりね、教育というものは、そんな、お父さんの考えているような、心の駈引きだけのものじゃないという事が、ぼんやりわかって来たのです。子供は親の、そんな駈引きを、いつの間にか見破ってしまいます。どうだい、わしにしては、たいへんな進歩だろう。レヤチーズは、しっかりしているけれども、やっぱり男だけに、まだ単純なところがあります。お父さんの巧妙な駈引きに乗せられて、むきになって努力するところがあります。それは、あれの、いいところだ。それを知っているから、お父さんも、レヤチーズには時々、駈引きをして、しかも成功しています。さっきお父さんが、大声でさまざまの注意を与えてやりましたが、レヤチーズは、うるさいと思っていながら、やっぱりお父さんの気をもんでいる事を知って、心底に生き甲斐がいを感じて出発したのです。けれども、オフィリヤ、ねえ、オフィリヤ、もっと、こっちへお寄り。お父さんが、さっきから、何を言いたがっているのか、わかりますか?」

 オフ。「あたしを、叱しかっていらっしゃるのです。」

 ポロ。「それだ。すぐ、それだ。お父さんはね、それだから、お前がこわいのです。このごろ、めっきり、こわくなった。お前には、わしの駈引きが通じない。すぐ見破ってしまう。以前は、そうでもなかったがねえ。」(太宰治『新ハムレット青空文庫)

 

 

話の筋の大きな違いとしては、ハムレットは亡霊を見ず(噂として王の亡霊がこういうことを言っているというのを聞く)クローディアスが父を殺したと思ってない。なのにポローニアスがクローディアスが犯人だと息巻いて、ハムレット、ホレーショー、ボローニアスで芝居をする。芝居をしても何も起こらず、あー馬鹿馬鹿しかったとなる。でもクローディアスは内心めちゃくちゃ怒ってて、ポローニアスを呼び出し、叱る。ポローニアスは自分が先頭に立って糾弾することで、兄殺しの陰謀論を馬鹿馬鹿しいものにする策だったと主張するが、二人の喧嘩はこじれにこじれて、クローディアスによってボローニアスは殺される。後日クローディアスの様子から、ボローニアスを殺したのはクローディアスだとハムレットは感じ取り、波乱の予感、といったところで終わる。

 

 

『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』トム・ストッパード

トム・ストッパードが20代で執筆し、66年のエジンバラ演劇祭で初演、その後、ロンドンやニューヨークでも上演されて成功を収め、作家の名を高めた作品。

 

進行するハムレットの劇の舞台裏で、ローゼンクランツとギルデンスタンがぼんやり時間を過ごしている姿が描かれる。

コインを使った賭けをしているシーンから始まるが、もう76回も連続で表しか出ていなくて、この世界がまともな世界でないことがわかる。というより、賭けに負け続けているギルデンスターンはまともな世界じゃないことを疑い、勝ち続けているローゼンクランツは気づいていない。

 

そのうち、どこからともなく『ハムレット』の登場人物が現れ、二人を加えて劇が進行する。このパートのセリフや展開は原作『ハムレット』に忠実であるがゆえに、いっそう不条理極まりなく、なかなかホラー。

 

二人が『ハムレット』に登場していない間、のんびりしたり、ぼんやりしているところは現代劇的な文体でありながら『ゴドーを待ちながら』の影響を強く感じる。頭が回って神経質なギルデンスターンと、おおらかなでぼんやりしているローゼンクランツはウラジミールとエストラゴンの関係に似るし、またお互いのことを略称「ギル」と「ロズ」と呼び、お互いにお互いしかまともな話し相手がいない感じもゴド待ちに似ている。また途中で二人に絡んでくる、ハムレットの登場人物、劇団の座長もかなりポッツォっぽい。

 

二人が言うには明け方に名前を呼ばれ、無理やり呼び出されて、どこへ行くのか、何をさせられるのか、目的もはっきりしないまま、今ここにいて、与えられた役割を放棄することもできず、何もわからないけれど、とりあえず「劇」に沿って、進んでいくしかない今がある。というのは不条理な状況のようで、明らかにわれわれの人生もこうなっているという現実世界が描かれている。

 

トム・ストッパードの劇の常として、展開が複雑(『アルカディア』など)だったり、不条理(本作)だったとしてもそこで交わされる会話はピュアで切ない。

 

ロズ、甲板を調べて、甲板をペチッと手で叩く。

 

ロズ いい床板だ、これ

ギル ああ、俺は船って好きだな。この、なんていうかーー全部が入ってる感じが。どっちへ行くとか、そもそも行くべきかなんて何も気にしなくていいーー疑問なんか浮かばない、だってもう船に乗っちゃっているんだから。船は、鬼ごっこの時に基地の中にいるように安全……役者だって音楽が始まるまでは板についてじっとしているだけでいい。……これから先ずっと船の上で生活しようかな。

ロズ いいね。健康的で。

『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(トム・ストッパード、小川絵梨子訳、早川文庫、2017年)

 

2023.3/4(土) ハムレット会前夜⑤ハムレットのあらすじリトライ

ハムレットを読んだ後、記憶だけを頼りにあらすじを書いてみる。

 

1幕

とても寒い夜。歩哨をしていたフランシスコの元へ、バーナードとマーセラス、ホレイショーが現れる。見張りを交代した3人は、先王ハムレットの亡霊が現れるという話をホレイショーにする。すると亡霊が現れ、ホレイショーが話しかけるが、亡霊は何も言わずに去っていく。

翌朝一堂が集まった広間で、クローディアスが演説をしている。悲劇を乗り越えて皆仲良くしよう。フォーティーンブラスが攻めてくるので使者を送って戦争を止めよう。話が終わって、雑談パーティタイムになり、大臣の息子レアティーズがやってきたので、仲良く歓談。レアティーズはフランスへ帰りたいという。

雑談パーティータイムに馴染めないハムレット。王様に話を振られても、適当な返事。留学先のドイツの大学へ帰りたいと溢す。そこに学友ホレイショーが現れる。一気にテンションが上がる。

ホレイショーから亡霊の話を聞いたハムレットはすごく興奮する。今夜みんなで、見張りの場所に集合な、ぜったい秘密だから! という。

その夜。

レアティーズの父、ポローニアスは娘であるオフィーリアに、ハムレットと仲良くなるなと諭す。しかしハムレットは私を愛してる。(わたしはハムレットを愛しているとは言わない)というオフィーリア。その言葉を鼻で笑い。男のそう言う言葉は信用できない。ましてや相手は王族で、結婚相手を自分で選んだりはできないと説く。結局オフィーリアは父の言葉に従う約束をする。

一方その頃、昨晩亡霊が出てきたところへハムレットを案内するホレイショーとマーセラス。

案の定亡霊が現れ、ハムレットに自分が死んだ王であることと、その死に方ゆえに煉獄の苦しみを味わっていること、自分を殺したのは弟であること、妻は今、弟と不浄な関係にあることなどをハムレットに告げる。

亡霊は朝日共に去る。

ハムレットはホレイショーとマーセラスに今夜見たことは秘密にすること、これから自分の様子がおかしくなっても、何か事情を知っているようなことは言わないように誓わせる。

誓いせよ、と亡霊の声が地下から聞こえてくる。

 

幾日かして、フランスへ旅立つ前のレアティーズがオフィーリアに、ハムレットと仲よくなりすぎないように、父同様の説教をしている。そこにポローニアスが現れ、船が来たことを伝える。そしてレアティーズに向こうでの生活の心得などを得得と説教し、送別する。レアティーズが去った後、ポローニアスが、ハムレットとは今どうなっているかオフィーリアに訊くと、最近、夜中に靴下が踝までずり落ちた尋常ではない様子のハムレットが現れ、手を握ったまま、無言で長いことを顔を見つめ、目線を逸らさないまま、後ろ歩きで去っていった、という怖い話をする。ポローニアスは「ハムレットがこの頃おかしいのは、恋のせいだ!しかも俺の娘!」と気づき「王様に報告しないと、俺の娘のことだし、怒られるかもしれないけど、言わない方がのちのち不味そう」と思う。

 

2幕

翌日の大広間、使者が帰ってきて、クローディアスにノルウェー王から色良い返事をもらったことを告げる。先王の息子フォーティーンブラスは、現王である叔父の説得により、デンマーク侵攻を諦め、ポーランドを攻めることにした。ついてはデンマークを行軍する許可が欲しいとのこと。喜ぶクローディアス。今夜は宴だ。

ポローニアスはハムレットの狂気の原因がわかりました。と王に伝える。王と王妃を前に、オフィーリアを連れて、事情を説明するポローニアス。「あの子の憂鬱の原因は先王の死と私の結婚が早すぎたためだと思うのだけど」と懐疑的なガートルード。それでは、オフィーリアとハムレットが一緒にいるところをみんなで物陰から見て、事実を確かめよう。というポローニアス。まんまとハムレットが通りかかり、皆物陰に隠れる。

 

生きるべきか死ぬべきか悩んでいるハムレット。そこにばったり出会うオフィーリア。初めははにかむハムレットだが、オフィーリアが贈り物を返したい、あなたが変わってしまった以上、これを前のように大切にすることはできない、と伝える。その文言のうちに、父親たちの差金のようなものが感じられたハムレットはブチギレ、お前のことなんて一度も愛したことはなかった、デンマークは狂ってる、結婚なんてするやつはみんな馬鹿だ、もうしちゃったやつは一組を残して許してやるけれど、これからは誰も結婚なんかするな。そしてお前は尼寺へ行け、うるさい、行け! 今すぐ尼寺へ行け! と言って去る。

ショックを受け、昔のハムレットはどこへいってしまったの? と泣くオフィーリア。

影から見ていたクローディアスは「これは恋故の態度じゃ無い。あいつは狂ってないけど、何か危険なことを考えている」と思う。

 

ローゼンクランツとギルデンスタンがハムレットを呼び止める。差し障りのない会話のなかで、ハムレットの憂鬱の原因を探ろうとするが、ハムレットは次々と話題を変えて煙に巻く、デンマークは牢獄だ。この世は牢獄。何しても楽しくない。人間を見ても楽しくない。何を笑ってる? 女は別と思っているだろう? 「いえ違うんです、笑ったのは。今エルノシア(王都)に旅芝居の一座が来ているんですけど、人間を見ても面白くないなら、あいつらはさぞかし困るだろうなぁと思って」

え、芝居? いいじゃん。どこにいるの。呼んでくれよ。今夜やってもらおうよ。というハムレット。ローゼンクランツとギルデンスタンは去る。

そこへポローニアスに先導された旅芝居の一座が城へやってくる、役者たちと顔見知りのハムレットは気安く話しかける。お気に入りの芝居をやってもらう。セリフが長すぎて辛いというポローニアスに、お前は下ネタがないと寝ちゃうもんな。というハムレット。「そうだ、ゴンザーゴ殺しはできる?」今晩はあれをやってくれ、おれが10行かそこらセリフを足すから、それを入れてくれ。と伝えるハムレット

ポローニアスと役者が去り、一人になったハムレットは、さっき見た芝居の役者の本気っぷりに、嘘のことでもあんなに一生懸命やっていたのに、おれと同じ立場だったら、あいつはどんだけ一生懸命やるだろう。復讐せねば。でもそのために真偽を確かめたい。そうだ、芝居を使おう。芝居を見て、罪を告白した男の例もある。もしクローディアスが何も反応せぬようだったら、亡霊は悪魔の手先でおれを騙そうとしていたのだ。芝居だ。芝居次第だ。

 

3幕

ローゼンクランツとギルデンスタンは嘘を交えながらクローディアスに報告をする。「だいぶ僕達に心を許してる感じはしたのですが、結局よくわからなかったっす。でも旅芝居の話ししたら、めっちゃ食いついてきまして『芝居!? 全然興味ある! 早速今晩宮廷でやってもらうから!』って。王様やお妃様にも見てもらいたいって言ってましたよ」

「でかした! あの子がそういう娯楽に気を向け始めたというのは吉報だ。僕もガートルードも、もちろん観させてもらうよ。ハムレットに伝えといて」というクローディアス。

ハムレットは座頭にもっと自然に演技をするように伝えている。十分に心得ているという座頭に対して「劇場一杯の素人のウケじゃなくて一人の見巧者の批評をこそ恐れよ」とこんこんと説きつけるハムレット。むかしなにかあったのだろうか? 座頭にとっては地獄のような時間がひとくさり終わった頃、そこにホレイショーが通りかかる。「ホレイショー! ちょっと来て!」ハムレットは一通りホレイショーにずっと思ってた気持ち(君には欲がない。欲望に振り回されない君は泰然としている。与えられたものを喜んで生きている。いいなぁ君みたいな人間は。)を伝え、その上で、ホレイショーに観劇中のクローディアスの表情をチェックするようにお願いする。「わかりました。もし何か一つでも見落としたら、この首も落としてください」と快諾するホレイショー。そこにクローディアスたちが到着する。「し、来たよ、僕はこれからまたキチ●イの真似をしなくっちゃ!」

王、王妃に、オフィーリア、ポローニアス、お付きのものたち、と皆揃ったところで芝居が始まる。王妃が自分の隣に座るようにいうと「もっと強い磁石がこっちに」と言ってオフィーリアのそばに座るハムレット。オフィーリアに度々ちょっかいをかけ「君の股ぐらに俺を入れてくれ、いーや、ただの膝枕のことだよ、いったいなにを考えてたんだい? うひひ……」というような、まじでけっこうキツいセクハラをかますハムレット

芝居は黙劇(無言劇)から始まる。王と王妃が仲睦まじく現れ、野外で昼寝を始めた王の元に、毒を持った男が現れ、王を殺す。王を殺した男は王妃に求愛し、はじめは断っていた王妃もやがては受け入れ、二人は結婚する、というあらすじ。

続いて黙劇の筋をなぞるように、セリフ付きの本編が始まる。やたらと劇中の王への変わらぬ愛を誓う劇中の王妃についてハムレットがガートルードに意見を聞くと「どうもあの王妃はやたらと誓い過ぎに見えるわ」という一コマなどを挟みつつ、いよいよ毒殺の場面になる。「これ、ほんとに問題ないやつなんだよなぁ?」と解説を求められたハムレットは「これは『ゴンザーゴ殺し』という話で、イタリアで実際にあった、豪族の兄殺しの事件を元にした芝居です。おぞましい内容ですけど、僕たち罪のないものにとっては何の問題もないですよね」「芝居をやめろ! 芝居は中止だ!」とボローニアスが芝居を止め、クローディアスは退出する。ガートルードは「ハムレット、あんた後であたしのところに来なさい」と告げる。

「見たかホレイショー!」「しかと!」「絶対やってるよね!」「やってます!」「うふふ、俺没落したら役者でいけると思わない?」「二流のね」「なんだと、こいつぅ」とイチャイチャするハムレットとホレイショー。

一方クローディアスはブチギレている。「あいつはヤバい。早く何とかしないと」「まあまあ、とりあえず、今夜のことはガートルード様ががつんと言ってくれますよ。」「がつん! ……と、いいます」「でも危なくないか?」「わたしもカーテンの裏から見てるんで。なんかあったらすぐ飛び出しますんで。任せてください。」

「心を鬼にするんだハムレット。でもやり過ぎちゃいけない。そういう攻撃性は、悲惨な結果を生むことを、僕は知っているんだ。なんか昔そういう話を聞いたことがある、あ、母上!」

ハムレット! あなたはひどいわ。お父さんになんてことするの!」

「母上! あなたはひどいです。父上になんてことをするんです!」

「なにをいってるの?」

「なにをいってるんです?」

「ふざけないで」

「ふざけないでください。」

「なめんなよ!」

「そっちこそなめんな! お父さんが死んですぐ、違う男のちんこをなめてんじゃねぇーよ!」

「うぅ、(それを言われるとちょっと痛い)」

「なんであんな神様みたいな人の愛を一身に受けてたのに、あんな半魚人以下の珍獣と一緒に寝てるんだ。恥ずかしくないのか! 天使の寵愛の巣に飽きて、自ら地獄の底へ降りてうじ虫這い回る悪魔の寝床を求める欲望モンスターの話知ってる? あなたまじで今そんな感じですよ?」

猛烈に説教するハムレット。そのやばい感じに「すわ一大事」とカーテンから飛び出そうとしたポローニアスに、即気づいたハムレットは剣を抜き「曲者め、死ね!」とカーテンごと串刺しにする。ポローニアス死す。

「なんてことするの!」

「わりぃ、わりぃ、こいつの主人かと思ったんだ。でも教訓だな。どこへでもウロチョロして首突っ込むと、最後はこういうことになるんだ。それにしてもなんてことしてくれたのは、そっちの方だよ、大体、健全な男女、健全な夫婦ってもんは……」と構わず説教を続けるハムレット

すると、普段着姿のハムレット(父)の亡霊が現れ「あんまり追い詰めるな。女は弱いから。優しくしてやれ」という。

亡霊はハムレットにしか見えず、「どうしたのお前、何を見てるの?」というガートルードに、「なんで見えないんだ! あそこに父さんがいるだろう!」と激昂するハムレット。「……」「僕は狂っちゃいない! 狂ってるやつがこんなに理路整然と話しできますか? できませんよね、だから僕は狂ってないんです。」「……」「狂っていないんだ…!」

だんだん二人して、しょぼんとしてくるする「いいよいいよ、忘れなよ…いまおれが言ったこと、全部忘れていいよ、あの豚丼の寝床に行って、臭いキスされて、頬つままれて、かわいいかわいい言われてきなよ。俺が狂ってないこともさ。告げ口してきなよ」

「あたしの息があるうちは、そんなことしません」

しんみりする二人。

「このじいさんも、生きてる時は騒々しくて、どーしようもない軽いやつだったけど、こうして死んでみると、なかなか威厳があるな。悪いことしたと思ってるよ。あんたの主人と、間違えたんだ。」

「どうするの?」

「ちょっと片付けてきます。おやすみなさい。」

と、ポローニアスの足首を掴み、退場するハムレット

 

4幕

従者たちとローゼンクランツとギルデンスタンを引き連れたクローディアス。ただならぬ様子で帰ってきたガートルードに事情を聞く。

「どうだった?」

「なんていうか、もう完全に狂ってしまって、鼠が、鼠がぁー、って剣を抜いてね、そこらへんにぶんぶん振り回してたら、すっぽぬけてね、それが運悪く、折悪しく、カーテンの裏にいたね、ポローニアスに当たってね」

「えー! 嘘。それ大丈夫だったの?」

「死にました」

「えー!」

「いやでも、すごく反省してて、、、ほんとに悪いことしたなぁ、って、いや、完全に狂ってるんだけど、基本はいい子っていうか、斑(まだら)っていうか、あの、金の鉱脈が、たまに、きらめく理性っていうか、もともとのね、あの子の地の部分が、」

「そんなこと言ってる場合じゃない! それ私が行ってたら、私が殺されてただろ。それでどうしたんだ?」

「死体、を、引きずって、どこかへ行きました」

「どこへ!?」

「さあ?」

「おい、お前ら、ハムレットを見つけてこい!」

「はい!」「はい!」

ハムレットを探しに行こうとする2人。

すぐ見つかる、というか、そこにいる。

クローディアスは問う「やあ、ハムレットくん。ポローニアスはどこにやったんだい?」

「ポローニアスは晩ごはんです」

「何を食べてるんだろうねぇ。」

「いや食べてるんじゃなくて、食べられてるんですよ、うじ虫にね。」

「ポローニアスの死体をどこへやった?」

「さあ、ご自身で探しにいけばいいんじゃないですか? 天国へ行って見つからなかったらもう一つの方にいますよ。……一月くらい探して見つからなかったら、階段の辺りを探してみれば?」

「おい、階段だ、探してこい」

適当な従者に探させるクローディアス。

「なんてことをしてくれたんだ。このままではお前の身が危ない。今すぐ、イギリスへ行け。」

大人しく従うそぶりを見せ、ハムレット退場する。

ローゼンクランツとギルデンスタンにハムレットとともにイギリスへ行き、イギリス王へ親書を渡すように命じるクローディアス。親書には、ハムレットを殺すように書いてある。

「あの男が生きている限り、もはや私に幸福はないのだ」

 

船へ向かうハムレットは、フォーティンブラス王の行軍を目撃する。

 

(以下途中)

 

 

おおまかな修正点

 

(ハムレットの学友であるローゼンクランツとギルデンスタンに、ハムレットの様子を伺うように命じるクローディアス、そこにポローニアスがやってきて、ハムレット憂鬱の原因を見つけたという。クローディアスが問うとポローニアスは、ノルウェー王へ送った使者たちが戻ってきたから、メインディッシュはその報告で、自分の報告はデザートとして扱ってという)

翌日の大広間、使者が帰ってきて、クローディアスにノルウェー王から色良い返事をもらったことを告げる。先王の息子フォーティーンブラスは、現王である叔父の説得により、デンマーク侵攻を諦め、ポーランドを攻めることにした。ついてはデンマークを行軍する許可が欲しいとのこと。喜ぶクローディアス。今夜は宴だ。

 

 

(以下の尼寺の場面が入るのは、3幕。)

ローゼンクランツとギルデンスタンは嘘を交えながらクローディアスに報告をする。「色々僕達に心を許してる感じはしたのですが、結局よくわからなかったっす。でも旅芝居の話ししたら、めっちゃ食いついてきまして、芝居興味あるし、早速今晩宮廷でやらせるから、王様やお妃様にも見てもらいたいって言ってましたよ!」

「でかした! あの子がそういう娯楽に気を向け始めたというのは吉報だ。僕達夫婦も、もちろん観させてもらうよ。ハムレットに伝えといて」というクローディアス。

生きるべきか死ぬべきか悩んでいるハムレット。そこにばったり出会うオフィーリア。初めははにかむハムレットだが、オフィーリアが贈り物を返したい、あなたが変わってしまった以上、これを前のように大切にすることはできない、と伝える。その文言のうちに、父親たちの差金のようなものが感じられたハムレットはブチギレ、お前のことなんて一度も愛したことはなかった、デンマークは狂ってる、結婚なんてするやつはみんな馬鹿だ、もうしちゃったやつは一組を残して許してやるけれど、これからは誰も結婚なんかするな。そしてお前は尼寺へ行け、うるさい、行け! 今すぐ尼寺へ行け! と言って去る。

ショックを受け、昔のハムレットはどこへいってしまったの? と泣くオフィーリア。

影から見ていたクローディアスは「これは恋故の態度じゃ無い。あいつは狂ってないけど、何か危険なことを考えている」と思う。

(という順番。上のあらすじでこのシーンが入っていた場所にはポローニアスとハムレットの会話が挟まる。)

 

ローゼンクランツとギルデンスタンとハムレットの会話をことごとく覚えていない。

 

 

集英社文庫ハムレット』に記載されている相関図が面白い。ぼくの私見では決してこんな芝居ではない。



 

(メモ)

寒さの描写が突出している新ハムレット

マーセラスのフェードアウト。

フォーティーンブラス(子)は先王の息子で、現王は叔父ハムレットと全く近似している。

2023.3/4(土) ハムレット会前夜④諸説や緒言

・諸説

・シャイクスピアの芝居で一番長いと言われる。マクベスの2倍くらいあるという噂。

 

・5幕2場の芝居とされているが、それは18世紀の学者が分類したことらしい。シェイクスピアの劇団、キングス・メン(国王一座)が常打ち小屋にしていたグローブ(地球)座はプロセニアム・タイプの劇場ではないので幕はない。半野外劇場で、奥の席には屋根があり、舞台に近い屋根なし席が一番安い。大向こうとは、この屋根なし席の観客を指す。

幕もないことだし全部通しで上演したのではないか、めちゃくちゃ早口だったのではないか、という説がある。元々シーンに番号がふられており、それは20まである。ちなみにマクベスは28。

 

ハムレットは30歳。墓場のシーンのセリフなどから推察される。

 

ハムレットには肥満説がある。

最後決闘の場面でガートルードがセコンドよろしくハムレットの額の汗をハンケチで拭うが、

福田役だと「あの子は汗っかきですぐに息切れするたちだから」とか言っているが、

坪内役では「肥り肉(じし)がゆゑ息が切れう」となっている。

原文は「he’s fat, and scant of breath.」

またハムレットをあてがきで演じたというサー・リチャード・バーベッジ(当時37歳くらい)は肖像画を見る限り、けっこう巨漢だったらしい。

 

・レアティーズがフランスに留学していたのに対し、ハムレットはドイツに留学している。

当時はルネサンスの時代で、イタリアとフランスが先進国なイメージ。(→快読シェイクスピア

 

・オフィーリア周りについて

「オフィーリアのセリフ、身分が上であるハムレットに対するものとしては結構尊大なので、ポローニアスに仕込まれていた言葉をそのまま言っていた」説がある。→松岡和子『快読シェイクスピア』など

「これに対し、どうしても演技することができないのが、オフィーリアで、父に命じられた通りのセリフを口にするが、それが与えられたセリフであることがすぐハムレットにばれてしまう。(ちくま文庫ハムレット』の解説より。河合祥一郎)」

『快読シャイクスピア』の松岡和子と河合隼雄の対談では「なんだかんだポローニアスはハムレットとオフィーリアがうまくいけばと考えていたのでは? 玉の輿に乗って欲しかったのではないか」という話もされている。

 

「尼寺(NUNNERY)は俗語で売春宿を意味する」(『シェイクスピア劇とジェンダーアイデンティティ』47P)→尼か娼婦かでセリフの解釈がだいぶ変わる? それとも変わらない?

 

ハムレットの種本について

13世紀にラテン語で書かれた古代デンマークの歴史物語の一部「ハムレット物語」が元である。しかし、シェイクスピアの作品以前にも、16世紀末にトマス・キッドという作者による『ハムレット』が上演されている。しかしこの戯曲については上演の事実以外なにも残っていない。

 

デンマークの『ハムレット物語』のあらすじ

デンマークの1人の貴族が辺境ノルウェーの王を倒した功績で、王の娘婿となり、やがては即位。これを妬んだ彼の弟は、兄の妃を誘惑して姦通した後、大食堂で突然兄を斬り殺す。驚く人々に「兄は、自分と妃の間にあらぬ不義の疑いをかけ、妃を殺そうとした。私は妃を救ったのだ」と宣言し、兄の後釜に据わる。亡き兄王の息子ハムレットは狂人を装い叔父を油断させる。叔父はハムレットを女色に溺れさせようと、ハムレットの乳兄妹である娘を彼に近づける。同時にもう1人の乳兄弟である男がハムレットの親友になって危険な回し者である娘を警戒する様に告げる。あれこれあって、ハムレットは母ガートルードと水入らずで話す機会を得て、自分が敵討ちのために気狂いのふりをしていることを打ち明ける。ガートルードは己の罪を悔い、ハムレットの復讐に助力することを天に誓う。叔父はハムレットをイギリス送りにして、そこで殺す謀略を企てる。イギリス行きの船上でハムレットは廷臣2人の寝入った隙を突いて、叔父からイギリス王への親書を見つけ、「ハムレットを殺せ」という文言を「廷臣二人を殺せ」に書き換え「イギリス王の娘を妻としてハムレットに与えよ」などと書き添える。ハムレットが英国を脱出し、帰国すると自分の葬式の真っ最中だった。そして彼は復讐を遂げる。

 

(以上は1949年版岩波文庫の解説から大島が要約したもの。)

 

じつはデンマークの『ハムレット物語』における主人公の性格として「過度に憂うつな人」と書かれている。のみならず、この憂うつ病は未来を予言する力、一種の神がかり的精神状態を患者に与えると特筆されている。

 

シェイクスピア版でも臨終の際、唐突にフォーティンブラスの即位を予言するハムレットが描かれている。

 

デンマークでは何かが腐っている説」

なんだか怖い話。冒頭の深夜の見張りの場面。

「誰だ!?」という誰何の声で始まるこの芝居だが、これを発するのは、先に見張りをしていたフランシスコーではなく、交代するために来たバーナードである。

これは常識的に考えておかしいので、この劇の世界は初めから条理が狂っているという説がある。めっちゃ怖いと思う。

デンマークでは何かが腐っている」はハムレットのセリフ。諸々の裏に吸血鬼とか悪い魔物がいるみたいでカッコいい。悲劇はぜんぶ吸血鬼や悪い魔物の仕業かもしれない。

ちくま文庫版『ハムレット』の翻訳家松岡和子による注ほかより)

 

 

・緒言

 

ハムレットとはどういう劇か

「『ハムレット』だが、この作はネガティヴに見ると、父の亡霊の命令を直ちに実行しなかったために、みずからを含めて作中の主要登場人物全部が破滅して殺され、他国の支配に国を委ねるという痛ましい筋立てになっている。」中村保男(新潮文庫版『ハムレット』の解説より)

 

 

 

●この劇における登場人物間のホモソーシャルな関係と、ハムレットミソジニー

 

ハムレットミソジニーとエディプスコンプレックス(父を殺しは母と交わりたい欲望)はよく言及される部分である。

以下『シェイクスピアジェンダーアイデンティティ』(伊藤洋子著、近代文芸社、2008年)から引用する。

この劇の復讐のテーマは、父子関係のモチーフを通して重層的に表現されている。劇における3組の父と息子たち。すなわりハムレット父子、フォーティンブラス父子、ポローニアスとレアティーズの父子は、みな固い絆で結ばれ、3人の息子は死んだ父親によって復讐を運命づけられている。さらにこの3組の父子関係の他に、ハムレットとホレイショ、クローディアスとポローニアス、さらにはクローディアスとレアティーズの主従関係ですら、男性同士の友情や共通の利害によって強い絆で結ばれているのだ。

 ハムレットとホレイショの関係はもっとも象徴的である。ハムレットは「感情と理性が見事に調和している」(3幕2場59行)ホレイショに対する17行もの賛辞の中で、「君を心から大切に思って、胸の奥に飾っている」(3幕2場63-64行)という愛情告白めいたせりふさえ口にする。彼は女性たちには決して見せたことのない全幅の信頼をホレイショに寄せ、彼だけに自分をさらけ出すことができる。終始控えめで受動的なホレイショの言動と安定感には女性的なものが感じられ、ハムレット代理母のような印象さえある。

敵対関係にあるハムレットとレアティーズ、ハムレットとフォーティンブラスにおいても例外ではない。心ならずも敵対する運命になったとはいえ、ハムレットはレアティーズやフォーティーンブラスに対して同志的友情さえ抱いており、その賞賛のことばには、女性たちを排除したホモソーシャルな気配さえ感じられる。(44p)

 

この劇の男性登場人物は、対等な人間同士として生身の女性たちと望ましい関係性を結んでいるとは言いがたい。亡霊は生前妻を熱愛し、死後も妻に深い執着を示すが、クローゼットシーンでの亡霊の’Conceit in weakst bodies storngest works’」(第3幕4場113行)というセリフにもあるように、女性は男性が庇護すべき弱く劣った子供のような存在なのである。ハムレットの女性に対する独りよがりの愛情表現や、その裏返しの女嫌いと結婚恐怖症は、まちがいなく父親の女性観ーーパラノイア的執着とそれと表裏一体の女性蔑視ーーを受けついでいるように思われる。また妹に繰り返し「処女性」の危うさを説くレアティーズのせりふは、父ポローニアスのダブルスタンダード的女性観ーー男は身持ちが悪いのが常で、女の最高の商品価値は処女性であるーーと響きあって、オフィーリアを追いつめたと考えられる。(49ー50p)

 

ハムレットミソジニーを剥き出しにして母を直接攻め立てることで、母に対するエディプス的とらわれから脱し、「律法」を代表する父と同化し、「男性としての自己同一性」を獲得する。

英国追放の直前、ハムレットが叔父に向かって’dear mother’(4幕3場46行)と呼びかけるシーンに注目したい。このせりふはクローディアスを男と認めず、父と呼ぶことを拒否し、母との一体化を揶揄したことばであると考えられるが、亡き父との象徴的一体化をはたしたハムレットの叔父への宣戦布告とも解釈できるし、母に対する決別の言葉とも考えられる。(52p)

 

彼の激しく辛らつな女性攻撃は亡霊によってせき止められた母への呪詛が変形したものとも考えられる。4幕の尼寺のシーンはその典型であろう(50-51b)

 

(伊藤洋子『シェイクスピアジェンダーアイデンティティ近代文芸社,2008年)

 

 

●戦争戯曲としてのハムレット

 

二度の大戦を経験したブレヒトは(一度目は未成年の兵士として、二度目は中年の亡命者として)、血塗られた時代に生きている自分には『ハムレット』はこのように読める、という。

 

「戦時。ハムレットの父、デンマーク王は、侵略戦争に勝利を収め、ノルウェー王を殺害する。ノルウェー王の息子、フォーティンブラスが新たな戦争の準備を進める一方で、デンマーク王もまた、弟に殺される。死んだ王たちの弟は、それぞれ王位に就き、和平を締結する。ノルウェー軍は、ポーランドへの侵略戦争への途上、デンマーク領を通過することを許可される。(……)野蛮な殺戮が繰り広げられ、ハムレットは叔父と母と自らの命を絶ち、デンマークノルウェーのものとなる。このように考えれば、もう一人前になった若者が、こうした状況に置かれ、ヴィッテンベルク大学で得た知識の使い方を誤る姿が見えてくる。その知識は、封建的世界の紛争を解決する上では邪魔になるものなのだ。彼の理性は非合理的な現実の前では役に立たない。彼は、理性的思考と行動の乖離の悲劇的犠牲者だ(ブレヒト『今日の世界は演劇によって再現できるか』千田是也編訳)

 

 

 

 

古典はさまざまなことと関連づけて読み方ができる。同じ様なことが、いつの時代でも起き続けているからだ。

以下、マイケル・ボグダノフ『シェイクスピア・ディレクターズ・カット 演出家が斬る劇世界』(近藤弘幸訳)から引用する。

 

「『演劇は、常にその時代が要求していることに敏感であるべきだ』戯曲の焦点は、絶えず移動する。その時代、その時代の事件によって、それまでと異なる側面が、突如として重要になる。(……)数年前『ハムレット』は完璧なウォーターゲート劇だったーー盗聴あり、尾行あり、立ち聞きあり。(……)あるいは、18年ほど前なら、フォーティンブラスのポーランド侵攻について語る隊長の言葉は気味が悪いほどに、フォークランド紛争のことを言い当てていた。展開された兵員数、紛争地域の位置付けまでそっくりだ。」

隊長 (……)形ばかりで何の値打ちもない土地です。地代がただの5ダカットと言われたところで、耕す気にはなれない。(……)

ハムレット それならポーランド王も守ろうとはしませんね。

隊長 とんでもない。すでに守備隊が守りを固めています。

ハムレット (……)おれが見ているのは

     死に急ぐ2万人の男たちだ、

     名誉という幻想にとりつかれ、

     寝床を求めるように墓場へと向かい、ちっぽけな土地のために戦う、

     あれだけの軍勢を展開するだけの広さもない土地、

     戦死者を弔う墓地にも狭すぎる

     土地だというのに、

 

(マイケル・ボグダノフ『シェイクスピア・ディレクターズ・カット 演出家が斬る劇世界』近藤弘幸訳 研究社 2005)」(……)は大島が引用文を省略。

 

 

この本においてマイケル・ボグダノフは父の復讐を目指すインテリの心理劇として描かれる『ハムレット』とはもう一つの可能性を提示する。それが「北ヨーロッパの権力闘争」の物語だ。

マイケル・ボグダノフは、戯曲序盤でホレイショーたちによって語られるデンマークの軍拡についてのセリフがカットされたロイヤル・ナショナル・シアターの上演について「いかにもロイヤルらしい。ジグソー・パズルを完成させるのに不可欠な、巨大なピースがそもそもの始まりから欠けている。」という。

2023.3/4(土) ハムレット会前夜③各翻訳についての主観的な感想

市河三喜・松浦嘉一訳 岩波文庫(1949年刊)

ほどほどに読み易くも、古い言葉がでてくるのが時代劇感あって良い。語感も結構よくて、名台詞味ある。とくに劇中劇の場面が歌舞伎っぽい言葉遣いなのは強み。狂ったオフィーリアの言葉が「~じゃ」「さんせ」「わいな」となんとなく花魁っぽいのもグッとくる。狂う前は「どうかあの方を救ってくださいませ」みたいな丁寧語キャラだったのに。

クローディアスが敬語を多用していて、なんとなくのいいやつ感があった。

あと、宮廷にいる軽薄なやつオズリックの丁稚感とその後に出て来る紳士の武士感が対照的で面白かったり。道化の墓掘り人は「~ただ」「ねぇだ」「ちゅうけ?」みたいな百姓喋り。

 

名台詞集

ハム「ーー世の中は調子はずれだ。ああ、なんという悪因縁か! おれがそれを直す役廻りにうまれてきたなんて! ーーいや、なに、さあ一緒に行こう。」

  「ぼくは西寄りの北風が吹く時だけ気が狂うのだよ。南風が吹けばたかかさぎかの見分けはつくのさ」

一定の方向の風の時だけ狂うというのは面白い設定。集英社文庫ハムレット』ではこのセリフの下注で「憂鬱症の人には南風が効くとされた」さらりと書いてある。面白い説なので出典が気になる。

 

妃「(……)それにつけてもオフェリア、ハムレットの狂気の原因がそなたの美しさ故であればよいと、念じていますよ。そうであれば、そなたのやさしさであの子をもとの正気へ返すことも出来、お両人(ふたり)の中は天下晴れて目出度(めでとう)うなろうというものですから」

 

オフィ(狂)「(……)ほんに殿御は罪つくり。口説き落とすに先立って、夫婦(みょうと)約束したればこそ。「おれと一緒に寝なければ、ほんと夫婦になったのに」、とつれない答えをするわいな」

 

レア「哀れなオフェリアよ、お前にはもう水は沢山だろうから、ぼくは泣きたい涙をこらえるよ。だが、おさえようとしても涙がひとりでに出て来る。はずかしいことだと、人の笑わば笑え、自然の習わしには勝てないもの。だが、この涙が出てしまった時こそ、おれの女々しい根性も消え失せよう。ーー陛下、しばらくおいとまいたしまする。燃え立とうとする火のような言葉で言いたいこともありますが、この愚かな涙で消されてしまいまする(退場)」

 

オズ「(再びお辞儀をしながら)」恐れながら、へい、もしお手隙であらせられますならば、陛下よりのお言付けをお伝えいたしとうございます。へい。」

 

紳士「殿下よ。陛下には若者オズリックをここへ伺わせられましたところ、この広間にて陛下をお待ち遊ばす由、それ故、陛下には、殿下がレアティーズとお手合わせ遊ばすことに、しかとご異存なきや、それともしばらく先にお延ばしに相成りたきや、伺って参れと拙者をかように遣わされました。」

 

福田恒存

ほぼ今の現代語。全体的に無骨でカッコいい。福田恒存は演劇ガチ勢。(上演もよくしている。シェイクスピアの芝居はテンポが命だから、台詞の5分の2を削った、とか翻訳家らしからぬことも言っている。)黙読していたはずなのに、気づけば声に出してしまう、というような名調子。

全体にちょっとマッチョな感じ。劇に元々あるマッチョさで、ハムレットミソジニーをより感じた。

 

小田島雄志

これも名訳。人によく「学者じゃなくて演劇人になりたかった」と言われる小田島雄志野田秀樹の戯曲のように語呂が良く、自然な喋りというより、面白味のあるセリフに仕上げている。もはや執着と言ってもいいくらい駄洒落に比重をおいた翻訳で、(おそらく)原文に翻訳できない洒落は自前の日本語駄洒落に置き換える、という力技。とくにポローニアスの一連のセリフなどは水を得た魚の様である。

そうした工夫もあり、事件に乏しく若干退屈な戯曲の前半が読み易くなっている。

 

2幕2場

王妃「ことばのあやより早く肝心の用件を」

ポローニアス「あやなどとあやしげなことは申しておりませぬ。王子様は気ちがい。これはほんとでございます。ほんとにお気の毒、お気の毒ながらほんと、いやこれはばかげたことばのあやでした。あやまります。」

2幕2場

ポローニアス「ハムレット様、なにをお読みで?」

ハムレット「ことば、ことば、ことば」

ポローニアス「いえ、その内容で」

ハムレット「ないよう? おれにはあるように思えるが」

 

5幕1場

ハムレット「だれの墓だな、これは?」

道化(墓掘り)「あっしのでさ(……)」

ハムレット「おまえのか、なるほどおまえがそこにいるからな」

道化(墓掘り)「旦那は外にいるから旦那のじゃねぇ。あっしはこの穴の底にいるからあっしのでさ」

ハムレット「墓の底にいるからおまえのだと言うが、そこに横たわるのは、死人であって、生きている人間ではあるまい。どうだ、そこつもの、お前の嘘も底が割れたぞ。」

道化(墓掘り)「なあに、それであっしの墓がそこなわれたりはしませんぜ。いかがです、そこもとのご返答は?」

いっぽう、真面目なシーンのセリフの滑らかさやかっこよさもかなりのもの。

ハムレットで一番有名なセリフ「生きるべきか死ぬべきか」を「このままでいいのか、いけないのか」として話題になったのも小田島訳。

3幕1場

ハムレット「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。

どちらが立派な生き方か、このまま心のうちに

暴虐な運命の矢弾をじっと耐え忍ぶことか、

それとも寄せくる怒涛の苦難に敢然と立ち向かい、堂々と終止符をうつことか。死ぬ、眠る、

それだけだ。眠ることによって終止符はうてる、

心の悩みにも、肉体につきまとう

かずかずの苦しみにも。それこそ願ってもない

終わりではないか。死ぬ、眠る、

眠る、おそらくは夢を見る、そこだ、つまづくのは。

この世のわずらいからかろうじてのがれ、

永遠の眠りにつき、そこでどんな夢を見る?

それがあるからためらうのだ、それを思うから

苦しい人生をいつまでも長びかすのだ。」

 

翻訳の言語感覚の違いで、戯曲の質感がまったく変わる。個人的にちょっと硬いと思っている集英社文庫の永田玲ニ訳と小田島訳を比較してみる。

Aは永田訳。Bは小田島訳。

 

3幕1場の最後で、ハムレットを警戒するクローディアスのセリフ。

A「上に立つ者の狂気には厳しい警戒を要する」

B「高貴なものの狂気。これは捨ててはおけぬだろう」

 

3幕3場、礼拝堂にてクローディアスが兄殺しの罪悪感から祈りを捧げているシーン。

A「(立ち上がって)言葉は空に舞いあがり、心は地上に釘づけ、心にもない言葉がどうして天にとどくものか」

B「(立ち上がり)ことばは天を目指すが、心は地にとどまる、心のともなわぬことばがどうして天にとどこうか。

 

4幕7場 復讐にはやるレアティーズに対し、唐突に父を愛していたか尋ねるクローディアス

A「なぜそんなことを聞かれます?」

「父親を愛していなかったとは思わぬが、愛もやはり時間の中で生まれるし、その後の成りゆきをながめていると、燃えさかる火も時間の支配をまぬがれぬ。愛の炎そのもののなかに一種の芯や燃えかすがあって、それが火勢をそいでしまう。良い状態がいつまでも続くものではなし(……)」

B「なぜそのようなことを?」

「お前が父親を愛していなかったと言うのではない。だが愛が生まれるには時というものがある。わしもいままでさまざまな例を見てきたが、愛の火花を支配するものはつねに時なのだ。愛の炎のなかには一種の燈芯(とうしん)のようなものがあって、それがやがて火勢を衰えさせもする。なにごとも最善の状態を永久に維持することはできぬ。」

 

 

④松岡和子訳

ちくま文庫版。それまでの翻訳の美点を取り入れたり、研究で分かったことを反映させている。

ややこしいところ、解釈が分かれているところを、安易にわかりやすさ優先で訳してないように思う。

そのため、意味がちょっとわかりにくいセリフなどもあるが、そういうところは、注釈で諸説を紹介した後「いずれにせよ謎めいた台詞」などとある。誠実な訳。ちくま文庫版を読んだが注釈が充実している。

 

※以下の画像はいずれも『ハムレット』(松岡和子訳 ちくま文庫)

ハムレットの一人称が「僕」と「俺」の2種類ある。

5幕1場

レアティーズ(ハムレットに掴みかかる)悪魔に食われろ!

ハムレット ご挨拶だな。頼む。喉から手を離せ。俺は怒りっぽくも喧嘩っぱやくもない。だが、いざとなると危険な男だ。気をつけたほうがいい。手を離せ。

 

その少しあと、

ハムレット なあ、レアティーズ、なぜ僕をこんな目にあわせるんだ。君にはずっと好意を持ってたのに。

 

一人称の違いとともに、全体に他の登場人物に与える言葉もやわらかい印象。以下に例として小田島訳と比較する。

5幕2場

(小田島訳)

ハムレット 剣にかけてはきみは血統書づきの名犬。おれは野犬にすぎぬ、まずはきみの引き立て役だ。

レアティーズ おからかいを。

 

レアティーズ これは重いようだ。他のを見せてくれ。

ハムレット これでいい。長さは同じだろうな?

オズリック 同じです、殿下。

 

(松岡訳)

ハムレット レアティーズ、僕は君の引き立て役。未熟な僕が闇夜なら、君の腕前は輝く星だ。まばゆい光を放つだろう。

レアティーズ ご冗談を。

 

レアティーズ これは重すぎる。別のを見せてくれ。

ハムレット これがいい。どの剣も重さは同じだね。

オズリック はい。殿下。

 

とくにホレイショーを褒めるセリフのハムレットがかわいい。

ハムレット おうい、ホレイショー!

 

   ホレイショー登場。

 

ホレイショー はい、殿下、ご用でしょうか。

ハムレット ホレイショー、これまでいろんな人間とつき合ってきたが君ほど出来た人物はいない。

ホレイショー 殿下、何をまた。

ハムレット いや、お世辞と取らないでくれ。

君を持ち上げたってどんな出世が期待できる?

だって君の財産といえば真っ直ぐな心だけ、

衣食にもこと欠くありさまだからな。

貧乏人にお世辞を言ってもはじまるまい。

犬のようにじゃれついてご褒美がもらえるなら、

いばりくさった馬鹿者の手を甘い舌でなめるのもいい。

七重の膝を八重に折ってぺこぺこするのもいいだろう。

まあ聞いてくれ。俺が自分の心でものを選び

人を見る目ができてからは、

君こそ心の友と決めたのだ。

君はどんなに辛い目にあっても、辛さを顔に出さず。

運命が下す打撃も恩賞も 等しく感謝の心で受け止める。

いいなぁ、そういう人間は、

情熱と理性が見事に調和しているから、運命の女神の笛になって

いいなりの音を出すこともない。

激情の虜にならない男がいたら俺にくれ。

この心の中心に、心の奥底にしまっておこう。

君がその男だ。

ちょっと褒めすぎたかな。

(3幕2場/132p)

 

河合祥一郎役 角川文庫(2003年刊)

2003年に行われた野村萬斎主演の「ハムレット」公演のためにされた翻訳で、上演に先立ち『新訳 ハムレット』の名で角川文庫の1冊として出版された。

訳者後書きによると、この翻訳の主な特徴は3つ。

①上演のため、セリフの訳は、音の響きやリズムにこだわった。

②(2003年時点では)日本で初めてフォリオ版を底本とした。

③To be, or not to beの訳を「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」とした。

とある。

 

①について。

主演であり、翻訳を河合に委託した野村萬斎自身が、「台本の最初から最後まで、すべての台詞を一行一行声に出して読み上げ、ダメ出しをし、じっくりと磨き上げてくれた(『新訳 ハムレット』訳者のあとがきより p220)」そうで、

そうして出来上がった上演台本に、その公演の演出家であったジョナサン・ケントがカットした約870行(全体の22%)を加えたものがこの翻訳戯曲。加えた部分は河合単独で訳したものの、何度も声に出しながら、上演台本と同じレベルの日本語を目指したという。

②について。

ハムレットの元台本は、1604年の第2クォート(四折本)版と、1623年のフォリオ(二折本)版があって、市販されている英語のハムレットの台本は、この二つの折衷が主流であり、これまでの(2003年時点)日本語翻訳台本もすべて折衷版を元にしてきた。

しかし研究が進み、先に出たクォート版(以下Q)は草稿レベルであり、実際の上演に使われてきたのはフォリオ版(以下F)ではないかという見方が強まってきた。そうした流れも受け、この翻訳ではFを底本とし、Q固有の台詞などは脚注に持ち込まれることになった。

よってこの翻訳本では、Fの「ハムレット」が読め、かつ、脚注を参照することでQの台詞がわかり、折衷版がどのように折衷しているかがわかる仕組みになっている。

 

(FとQの違い)

FはQに比べて装飾的なセリフが削られ、一部の長いセリフがカットされている。

大きいところではオズリックがレアティーズとの決闘についてハムレットの意思を確認するシーン。ここはだいぶやりとりがすっきりしているほか、オズリックが去った後に登場する、ダメ押しの如く決闘の意思を確認しにくる紳士はFでは出てこない。

また、登場人物の名前を繰り返し読んだり、間投詞的なセリフが増えている。

以上の結果、よりすっきりとして臨場感のある上演台本的な稿であると言える。

 

③について。

じつは今まで「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と人口に膾炙した訳文を採用していた「ハムレット」翻訳はなかった。ということで、それを採用した初めての訳、ということでした。訳者あとがきのなかには、「To be, or not to be」の歴代訳を抜書きし、「生きるべきか死すべきか〜」の翻訳史がわかるおまけコーナーがある。

 

以下、大島の(主観的でテキトーな)感想。

これも名訳と言われている。僕自身高校のときに読み、内容がすっと頭に入ったような印象があり、読みやすい訳だと思っていた。

 

① にあるとおり、セリフとしてカッコいい、音が読み上げやすそうな翻訳だなぁとは感じる。

今回ざっといろんな翻訳でハムレットを読んでみて、福田恒存くらいまでは、モダンに訳そう、会話で使う日本語として自然に訳そう、という意識があったように感じたが、

駄洒落ばっかり言ってる小田島訳などのように、時代が下り、日本語としてこなれた訳はもうあるから、今回はセリフとして更に面白く訳そうという意識も感じる様になった。

(なんか現代口語演劇を経て、不自然でも面白いセリフがあるのも演劇の魅力だよね、という改めてそういうことやる反動みたいな演劇の流れもできてきたことを連想したり)

 

今回改めて読んだ感想として、この翻訳の基調はずばり、「カッコいいハムレット」だと思った。ちょっと厨二病感もある。福田訳とかに特に感じたマチズモ感と、厨二感が復活してる感がある。

 

以下、読んでて印象に残ったところ。

ハムレット 倹約、倹約だホレイシオ。葬式用に焼いたパイが、冷めたらそのまま婚礼の食卓を飾るのだ。こんなつらい目を見るくらいなら、ホレイシオ、天国で憎い仇に会ったほうがましだ。父上ーー父上が目に見えるようだ。

ホレイシオ え、どこに、殿下?

ハムレット 心の目にだよ、ホレイシオ。

ホレイシオ 一度お会いしたことがあります。ご立派な王でした。

ハムレット どこから見ても、男の中の男だ。あのような人には二度と会えまい。

ホレイシオ 殿下、昨夜、お見かけしたように思うのですが。

ハムレット 見た? 誰を?

ホレイシオ 王を。殿下のお父上を。

ハムレット 父上を?

(1幕2場 27ページ)

「心の目にだよ〜」のセリフに注釈がついており同じページの脚注で「心眼で真理を見抜くことは、この芝居の重要な主題の一つ」とある。

しかしそんなことより、私が発見したのは、この会話が軽くギャグになっていることである。解説するのもなんだが、「あのような人には二度と会えまい」と言ったすぐあとに「昨夜見ましたけど」っていうのは、完全に馬鹿にしてる。ホレイショー(ホレイシオ)には常日頃から、硬質で厨二がかったハムレットをこうして、からかうようなところがあるのかもしれない。

ここにいたり、もう2人はできているのが前提で読んでいるおれがいる。

(この『新訳 ハムレット』は他の翻訳より遅れること2月あまり後に読了されている。その間に『ボクたちのBL論』(サンキュータツオ春日太一著/河出文庫/2018年刊)を読んだこともあり、大島はいま、関係性からBL的ものを感じる力が上がっている。)

 

亡霊(前略)わしは果樹園で眠っているところを毒蛇に噛まれたことになっている。ーーわしの死について、デンマーク中の耳に嘘という毒が注がれたのだ。ーーだが知るがいい、気高い息子よ、そなたの父を噛み殺したという毒蛇は、今、頭に王冠を戴いている。

ハムレット わが魂の予感どおりだ! 叔父が!

(1幕5場47p)

 

やっぱりちょっとcyuuniを感じる。

ここは松岡和子訳だと

「心の予言は的中した! 叔父が!(ちくま文庫/58p)」

小田島訳だと

「おお、この心の予感にあやまりはなかった! やはり叔父が!(白水Uブックス/54p)」

となっているシーン。

 

翻訳の巧みさについては、やはりハムレットの特徴として、シリアスなセリフと同時に出てくるギャグ、駄洒落などが良く訳されているところからも見てとれる。

以下は、劇中劇での王の毒殺シーンを見て、顔色を悪くして退出したクローディアスについての、ホレイショーとのやりとり。

 

ハムレット いやさ。泣いて逃げろや、手負の牡鹿(おじか)確(しか)と見えたり、傷持つ足よ。夜も寝られぬ、わが叔父(おじ)か。仕方(しかた)なし、これも浮世の習わしよ。

どうだ、これで、この先運命に見放されても、帽子に羽根飾りを山ほどつけて、メッシュの靴に大きな赤薔薇のワンポイントで決めて、俺も役者の仲間入りだ。

ホレイシオ 半人前でしょう。

ハムレット 一人前だ。知っていようぞ、わが友よ、元は、この国ゼウスが御国、それを奪いて、今、治むるは、語るに落ちたるーー下衆野郎。

ホレイシオ 最後まで謡えばいいのに。

ハムレット ああ、ホレイシオ、亡霊の言葉に大枚払ってもいいぞ。見たか。

ホレイシオ はっきりと。

ハムレット 毒殺の話をしたとたんだ。

ホレイシオ 確と見ておりました。

ハムレット ようし、音楽だ。さあ、笛を持ってこい。お気に召さぬは、お芝居か。それでは奴もおしまいか。さあ、音楽だ。

(3幕2場/119p)()は大島が追記。

ホレイショーは平静ハムレットをずっとからかうけど、まじめなところでは100%の忠臣振る舞いをするあたりにぐっとくる。でもなぁ、のちに書くけど、

精度が高く、訳出されていることもあってか、

また、時間を経て再読したこともあり、

改めて、この戯曲の持つ、マチズモとミソジニーを強く感じた。

上のシーンの前の、王殺しの芝居をみんなで見る前の、ハムレットとオフィーリアのやりとりなんかは、よく訳されているだけに、ハムレットのセクハラをひどく感じる。

 

ハムレット おひざに寝てもいいかな

オフィーリア いけません、殿下。

ハムレット 頭をひざに載せるだけだよ。

オフィーリア ええ、どうぞ、殿下。

ハムレット 何かいやらしいことを言ったと思った?

オフィーリア いえ、何でもありません、殿下。

ハムレット それはまた乙女の股(また)にふさわしい考え方だね

オフィーリア 何がですか、殿下。

ハムレット ナニがありませんって言ったろ。

オフィーリア ご機嫌ですね、殿下。

ハムレット 誰が、俺が?

オフィーリア ええ、殿下。

(中略)

   前口上役登場。

 

ハムレット すぐにこいつらが教えてくれる。役者というのは秘密を守れない。何もかも話しちまうんだ。

オフィーリア このお芝居の意味を教えてくれるんでしょうか。 

ハムレット ああ、君がショーをやってくれれば、その意味もね。君が恥ずかしがらずに見せてくれれば、向こうも恥ずかしげもなく教えてくれるさ。

オフィーリア おふざけがすぎます。私はお芝居を観ます。

前口上役 我らと我らの悲劇のために、こうして身を屈めてご寛容を乞い、ご静聴のほど、願いあげます。

ハムレット これは前口上か、指輪の銘か。

オフィーリア 短いですね。

ハムレット 女の愛のようにな。

(3幕2場/110~113p)

2023.3/4(土) ハムレット会前夜②ハムレットを4回読んでそれぞれに思ったこと。

一回目(市河三喜・松浦嘉一訳)に読んで思ったこと

●読む前の記憶と色々違っていた。

・ホレイショーの存在を忘れていた。

・亡霊はハムレットだけじゃなくてみんなに見える! 

ハムレットの留学を当てずっぽうでノルウェーだと思っていたがドイツだった。

・レアティーズの存在を忘れていた。

・・王は蛇に殺されたことになっていたのか。

 

●なんか戦争の気配がする。

・イギリスが属国。

ノルウェーのフォーティンブラス(子)が攻めてくる。

・それを止める為、クローディアスがフォーティンブラス(父)に使者を送る。

・フォーティンブラス(子)は代わりにポーランドを攻める。フォーティンブラス(父)はそれを止めないばかりか、むしろ応援する。ポーランドかわいそう。

・なんでこんなに戦争したがるんだ? 時代背景?

ハムレットの父王は戦争に強かった。

 

●みんな人の話をあまり聞かない。

・亡霊は一方的に喋る。命令する。家父長制の権化。

ハムレットのセリフが長い。

・続くクローディアスのセリフも長い。

長台詞の応酬にお互いなぜ耐えられる? そういう文化なのか。聴いていないのか。

セリフが短いだけでも芝居は別物になりそう。

 

ハムレットがクローディアスのことをもうちょっと好きになるだけで話は変わる

親父に対するこの尊敬はなんなの?

 

貞操観念が中世!

レアティーズもボローニアスも処女を守れ、うるさい。処女厨

女の人の美徳は貞節。地獄のようにつまらない世界じゃないか。

 

●文化/宗教

みんなキリスト教徒。

でもギリシャ神話からの引用比喩も多い。

特にハムレットヘラクレスや、オリュンポスをよく例えに出す。そういうの好きなのか。

 

●狂人

思ったよりも、みんなハムレットを狂人扱い。

ボローニアスと、隠れている叔父母の前で、狂人のふりをするのは面白い

狂人の台詞を書きたい。

 

●劇中劇

芝居に対する、ハムレットの「見巧者に褒められてこそ」みたいな観念はどこから来たんだ?

「眼のある見物の批判こそ、小屋いっぱいの他の見物よりも尊重しなければならない。」

芝居を見て、クローディアスはハムレット殺しを決意する。「こいつは狂ってない。何か危険なことを考えている。ここがわりと転換点。

しかしハムレットが劇団にやらせる演目「ゴンザーゴ殺し」って響きにはたまらないものがある。

 

●ローゼンクランツとギルデンスタン

優柔不断で長いものには巻かれがちで憎めない2人。

友達面してくるギル&ローコンビに対して、初めは普通だったのに、だんだん辛辣になるハムレット

「この笛を吹いてくれないか」「吹けないの?」「吹き方を知らない?」「なのにどうして僕からは好きな音色を奏でられると思ったの。僕のことを何も知らないのに。」

この例えはけっこう気が利いていると思った。

2人が徐々にハムレットの信頼を失っていくところはなんとなく描かれている。

 

●その他

ポローニアスぶっ殺すところのハムレットの残酷マンっぷり。ここからタガが外れたようになる。話もテンポが良くなり、面白い。

 

2回目(福田恒存訳)に読んで思ったこと

 

3幕1場

ハムレットが旅芝居の一座が街に来たことを喜んで、王や王妃も誘ってるよ。うん、喜んで一緒に見ようよ、って話のあとで、突然のクローディアスの傍白「~おお、この罪の重荷!」はじめてクローディアスがクロ(王殺しの犯人)であることがわかる。でも、なぜここで?

王殺しの芝居を見た反応で、初めてわかる方がサスペンスフルじゃないか?

 

3幕3場

・芝居を見て、気分を悪くしたクローディアス2度目の独白。(長い。)罪悪感から祈る場面。

それを見て、殺そうか悩んだ後、やめておく、ハムレット。ここにも許すか許さないのか、というサスペンスがありそうなものだけれど、後で絶対に殺す、つってて、どっちに転ぶのかドキドキ、みたいなものは全くない。

クローディアスを許せば、そして、ポローニアスも死ななければ、喜劇として終えることもできるのかも。

 

3幕4場

・芝居のあとの、王妃によるハムレットへの説教の場面。

ハムレットがやばいくらい王妃に悪口をいう、

「ああ、ハムレット、もう何も言わないで。そのお前の言葉で、おのが心の奥底をまざまざとのぞきみる思い」「黙って、もう許して。一言一言が匕首のようにこの耳を。」

 

と何やら王妃が良心の呵責を覚えている様な描写。原典の『ハムレットの物語』と違い、シェイクスピアハムレットでは王妃は夫殺しに加担していないし、クローディアスと関係したのは兄王の死後のことなのに。いったい何がやましいのか。

 

・王の亡霊の2度目の登場。前回はホレイショーたちにも見えた亡霊が、今回はハムレットにしか見えない。(少なくともガートルードには見えない。)

ハムレットの「僕は狂ってない。」(狂ってる奴はみんなこういうんだ)発言も相まって、ハムレットがまじでキているようにも見える。

 

・ポローニアスの死

こいつがここで死んで、王の立場が危なくなって(民衆がその不審な死を噂する)レイティアーズと王の間も緊張するし、オフィーリアも狂うわで、ポローニアスの死が物語を悲劇に傾けるウェイトはけっこう重い。

 

クローディアス「国中の者がポローニアスの死について、なんのかんのと憶測をたくましゅうし、けしからぬ噂をまきちらしているらしい。ーーーこちらのやり方もまずかった。どさくさにまぎれて死骸をかたづけてしまったのがいけなかったのだ」(4幕5場)

 

父のことを「母上」って呼んだり、狂ってる、という設定によって、道化よろしくラフに喋れるハムレットは、思っていたよりも始終ずっとふざけている。

 

 

3回目(小田島雄志訳)に読んで思ったこと

 

・煉獄

1幕5場でハムレットと亡霊の会話。

「わしはそなたの父の霊だ。期限が来るまで夜は地上をさまよい、昼は煉獄の炎に身を焼き、苦行し、生前犯した罪業の、焼かれ、清められる日を待つ定めにある。」

 

なぜ父は煉獄行きに→のちのセリフで「聖餐も受けず、臨終の精油も塗られず、懺悔もせず、死出の旅路の用意もせぬまま、きびしい神の裁きの庭に引き据えられたのだ」とある。

煉獄行きを免れる条件厳しくない? 死に方しだいでは煉獄に行きの面倒くさい世界。

王の臨終なのに、精油を塗られたりしてないのはなぜ?

 

・普通に喜劇っぽい

2幕2場でポローニアスが「ハムレットが鬱ってる原因わかっちゃいました!絶対間違いないです。間違えてたら首刎ねてください」とか言って「それは僕の娘、オフィーリアに恋しているからです。間違えてたら引退して牛育てます(ちょっと日和ってる)」とか言って、じゃあ、みんなでこっそり様子を見るよ、さあ、ハムレットが来たよ、みんな隠れて!」って展開。色々間違ってるし、完全に喜劇っぽい。あと、じゃあこういう作戦で、って話が決まった瞬間にハムレットがやってくるの完全にコントのタイミング。

 

 

・後半のあれこれ

ハムレット、祈っているクローディアスを殺すのをよした後、なぜ素直にイギリスへ行くのだろう? 

この芝居では復讐の遅延が描かれている、というが、この後の展開はまさに遅延だ。

 

イギリスから戻ってきて、まずやることがホレイショとの墓場デート。そもそもハムレットたちがなんのために墓場をうろついていたのかもわからない。日活ロマンポルノ並みにわからない。でもそこでオフィーリアの葬式を目撃するから筋的には必然性があるけれど。

 

・レイアティーズと揉み合いになって引き離されたあと、次のシーンでまた何事もなくホレイショと呑気に歓談しているのギャグ漫画っぽい。シーンの飛び方とか。

 

・あと、この間にレアティーズがハムレットの謝罪を受け止めるくらいに冷静になっているわ、王様も剣の試合でハムレットが一本取ったら乾杯しよう。とか言っているの(毒殺する為にわざとだろうけど、ポローニアスを殺した咎がすごく曖昧になっていることに、ガートルードやハムレットは不審を抱かないのか。

 

・民衆関連

 

4幕5場

舞台奥で騒がしい物音。

武装したレアティーズ登場、民衆があとにつづく。

レアティーズ「国王はどこだ! みんな外で待て!」

民衆「おれたちも入れろ!」

レアティーズ「頼む。まかせてくれ」

民衆「よしまかせるぞ」

 

普通にクーデターなのに、この後、お咎めの様子なし。

また別のところでハムレットが民衆に人気だから殺せない。とか、

民衆が「レアティーズを王に!」と叫んでいる。

とかある。民主制でもないのに、民衆の力がかなり強い?

 

レアティーズ「頼む。まかせてくれ」

民衆「よし任せるぞ」

とかいってるし。貴族との距離感近い。それともレアティーズがレジスタンスに身を落としているのか。

 

 

ハムレットは大学に戻りたいという意志を示していた。

でもクローディアスもガートルードも戻らないでと言っていた(なんとなく、ガートルードの方の意向なのかな?)

戻れば起きなかった悲劇。

大学では何を勉強していたのだろう。そもそも当時の大学って何を学ぶところなの?

 

 

4回目(松岡和子訳)に読んで思ったこと

1幕つまらない。

ラブストーリーがない。面白くない。

オフィーリアとハムレットの甘酸っぱい話はすべて伝聞。

あの聡明だったハムレットも伝聞。

 

まだガートルードとハムレットのエディプス的なラブストーリー(最後は和解と死)

感の方が強い。

 

読んでみて。総論。

ポローニアスを殺す3幕の最後くらいからぐっと面白い。それまでに溜めていた筋が一気に動く。そう考えると構築物としてよくできてると言わざる得ない。

逆に1幕はとくにつまらない。デンマークが戦時下であることの説明。クローディアスの立場の説明。

愛情たっぷりの父に説教されるレアティーズと、ハムレットとの恋を戒められるオフィーリア。

ラブストーリーはない、サスペンスもない。亡霊は説明役。

ハムレットとオフィーリアの恋も、クローディアスとガートルードの恋も表立っては描かれない。

 

登場人物同士の関係が希薄。ポローニアスの死をオフィーリアとレアティーズ以外は悲しまない。お互いの関心は家族にしかないのに、その家族関係が家父長制で広がりがない。

 

狂ったオフィーリアはハムレットに手篭めにされたんじゃないか、と思った瞬間があった。

オフィーリアとガートルード以外の女性は出てこないし、彼女たちはやすやすと死ぬ。

2023.3/4(土) ハムレット会前夜①妄想あらすじ

3/4(土)にハムレットをテーマにした戯曲を書く会をする。

(企画書のリンク)

事前にハムレットについて予習をしておこうと思う。

 

 ●予習の予定

 

ハムレット再読前の、ぼんやりあらすじと、印象を書いておく。

ハムレットをできるだけたくさんの翻訳で読む。各巻の解説も読む。

・記憶を頼りにハムレットのあらすじを書く(なるべく主観的に書く。)

→自作のあらすじを補完すべく、ものの本からあらすじらしいあらすじを引用する。

 

①妄想あらすじ

これはまだ何も読まない段階で記憶を頼りに、ハムレットのあらすじを書く。わかんないところは妄想で埋める。

 

デンマークの王子ハムレット(30くらい)の父王が死んで、叔父のクローディアスが新しい王になる。なんとなく気が塞いでいたハムレットが夜の城を散歩していると、親父の幽霊に遭う。

父はいう「わしはクローディアスに殺されたのじゃ! 仇を討ってたもれ!」

本当の父の亡霊を見たのか、自分自身の妄想なのか、悩むハムレット

クローディアスの腹心の大臣みたいなやつの娘オフィーリアとデートするハムレット。オフィーリアが何を言っても頭に入ってこない。

ぐっと暗くなって独り言をいうハムレットに「王子は狂ってしまった」という噂が立つ。

ある日オフィーリアと水辺で遊んだりしながら、ふと正気に帰り(「ああ、こういう日常も悪くないなぁ、おれは何を鬱屈していたのだ」とか思うハムレット、でもやはりオフィーリアの話は聴いていない。オフィーリアは最近ハマっている園芸の話とかする。)

「全部妄想だったんだ。叔父は優しいし、おれも30だ改心しよう」とか思ってると、

もっかい親父の亡霊に遭う!

「復讐しろ! お前の母親は夫の仇と寝ているのだ!」

「クローディアスなんかと良く寝れますね」みたいなイチャモンをつけて母親と喧嘩になるハムレット。悩む母親「反抗期かしら?」オフィーリア父の陽気な大臣みたいなやつとかに相談して、ハムレットの憂さ晴らしの仮面舞踏会とかを企画する。

仮面舞踏会の話を聴いて、演劇で父殺しの場面を再現して、観劇中のクローディアスの顔色で真偽を判定する手段を思いついたハムレット。一転して陽キャラに。出し物の脚本と演出をやるとか言い出して、そこらへんの劇団を連れてきて、陰気な芝居を作り始める。

 

当日、芝居を観劇しているクローディアスの青ざめた様子を見て、「これはやってるで!」と確信するハムレット

再び、オフィーリアと水辺を散策とかしているけど、些細なことからめっちゃ喧嘩になる。「尼寺へ行け」って言う。

 

クローディアスぶっ殺す計画を建ててたら、誰かに独り言を聞かれてて「クセもの!」って感じで殺したらそいつはオフィーリアの父だった。

オフィ父の死が騒ぎになっている宮廷。学友のローゼンスタンとギルデンクランツと一緒にスウェーデンあたりに留学することになったハムレット

留学先でハムレットを殺す予定だったローゼンクランツとギルデンスタン(おっちょこちょい)をさくっとぶち殺す。

帰国したらオフィーリアが狂ってる。

和解しよう、みたいなパーティーがあって、余興として剣の試合をすることになるハムレット。クローディアスの差金で試合相手のフィンランドの王子みたいなやつの剣には毒が塗ってあるし、酒には毒が入っている。なんやかんやあって、クローディアスをぶち殺したハムレットはフィランド王子の剣の毒で死ぬ。母親は気づかず毒を飲んで死ぬ。

オフィーリアはいつもハムレットと歩いていた湖の中で溺死している。

フィンランドの王子がデンマークを治めることになる。

〜〜〜

↑をしての感想

誰が死ぬとかの要素は覚えているが、時系列が曖昧。

母親と折り合いが悪かった。とか、狂ってるふりをして、復讐の計画を立てる、とか。は覚えてる。(芝居。思春期。母との確執「かもめ」っぽい)(母親と喧嘩、といえば、最近観た海外ドラマ『セックス・エデュケーション』っぽい。)

オフィーリア周りが特に曖昧、オフィーリアってどんなやつだっけ? ハムレットとなんの話してたっけ? 花が好きだった様な。あと水回りにいた。

地理関係や、外交関係とかがよくわからない。どこの国の王子が出てきたっけ?

 

●再読前のハムレットに対する印象

ハムレットが男尊女卑だとか、オフィーリアが疎外されている、とかはよく言われている、というイメージはある。

母親とクローディアスの関係に固執している感じがけっこうキモい。

僕はハムレットという登場人物に魅力を感じないが、多面的で魅力的な主人公とか、役者はみんなハムレットを演じたがるとか言われていた気がする。

クローディアスの腹心の大臣みたいなやつが、ひょうきんものというか、道化役だった気がする。

大まかにいうと父の復讐をする話で、そこにあまり興味はない。

2022年11/20 文学フリマ東京に参加します!

みなさまいかにお過ごしでしょうか。

我々は今秋末(週末)の文フリに参加いたします!

 

文学フリマ東京35
日時:11/20(日)12:00-17:00(最終入場16:55)
会場:東京流通センター 第一展示場+第二展示場Eホール
ローリングあざらし撲殺ブース【V-37】
詳細: https://bunfree.net/event/tokyo35/

WHAT IS 文学フリマ?

文学フリマ入場無料の文学作品展示即売会です。

小説、詩歌、評論・研究、ノンフィクションなど様々な文学作品を出店者が自ら手売りします。ジャンルも純文学からSF、児童文学からアイドル評論まであり、出店者・来場者の年代層も10代~90代まで幅広いイベントです。来場者は見本誌コーナーで各ブースの作品見本を自由に立ち読みすることができ、ブースで作品を購入することができます。
会場では作者や編集者の方と直接話すことができ、読者と作者の垣根を超えた多くの交流が生まれています。

(文学フリマ公式ページより)

 

WHERE IS 文学フリマ?

会場は陸・海・空あらゆる物流の玄関口に近い圧倒的な好立地に立つ、東京流通センター!

浜松町駅からモノレールにのってぼーっとしていればすぐ着きます。

このモノレールから良い気分で下界を観覧できるのも、文フリの楽しみの一つです!

モノレールから見える景色、圧倒的高み!

徐々に街感を失っていく、道や建物ばかりが大きくなり、人類の愚かさ思いを馳せていると…

海に出ます!

他にも、もっと入り組んでて立体感のある光景などなどがいっぱい見られます!

空港も近いのがGOO ! お土産も買えます!

 

11月20日、文フリに参加します!

コロナが増えてきていますが、今の所開催予定。(正確な情報は↑の公式HPから)

われわれもできうる対策、消毒してお待ちしております!

お時間のある方、ご都合の合う方はぜひいらしてください!