ローリングあざらし撲殺活動記録

その軌跡。議事録。文章置き場。その他なんでも。

2023.3/4(土) ハムレット会前夜③各翻訳についての主観的な感想

市河三喜・松浦嘉一訳 岩波文庫(1949年刊)

ほどほどに読み易くも、古い言葉がでてくるのが時代劇感あって良い。語感も結構よくて、名台詞味ある。とくに劇中劇の場面が歌舞伎っぽい言葉遣いなのは強み。狂ったオフィーリアの言葉が「~じゃ」「さんせ」「わいな」となんとなく花魁っぽいのもグッとくる。狂う前は「どうかあの方を救ってくださいませ」みたいな丁寧語キャラだったのに。

クローディアスが敬語を多用していて、なんとなくのいいやつ感があった。

あと、宮廷にいる軽薄なやつオズリックの丁稚感とその後に出て来る紳士の武士感が対照的で面白かったり。道化の墓掘り人は「~ただ」「ねぇだ」「ちゅうけ?」みたいな百姓喋り。

 

名台詞集

ハム「ーー世の中は調子はずれだ。ああ、なんという悪因縁か! おれがそれを直す役廻りにうまれてきたなんて! ーーいや、なに、さあ一緒に行こう。」

  「ぼくは西寄りの北風が吹く時だけ気が狂うのだよ。南風が吹けばたかかさぎかの見分けはつくのさ」

一定の方向の風の時だけ狂うというのは面白い設定。集英社文庫ハムレット』ではこのセリフの下注で「憂鬱症の人には南風が効くとされた」さらりと書いてある。面白い説なので出典が気になる。

 

妃「(……)それにつけてもオフェリア、ハムレットの狂気の原因がそなたの美しさ故であればよいと、念じていますよ。そうであれば、そなたのやさしさであの子をもとの正気へ返すことも出来、お両人(ふたり)の中は天下晴れて目出度(めでとう)うなろうというものですから」

 

オフィ(狂)「(……)ほんに殿御は罪つくり。口説き落とすに先立って、夫婦(みょうと)約束したればこそ。「おれと一緒に寝なければ、ほんと夫婦になったのに」、とつれない答えをするわいな」

 

レア「哀れなオフェリアよ、お前にはもう水は沢山だろうから、ぼくは泣きたい涙をこらえるよ。だが、おさえようとしても涙がひとりでに出て来る。はずかしいことだと、人の笑わば笑え、自然の習わしには勝てないもの。だが、この涙が出てしまった時こそ、おれの女々しい根性も消え失せよう。ーー陛下、しばらくおいとまいたしまする。燃え立とうとする火のような言葉で言いたいこともありますが、この愚かな涙で消されてしまいまする(退場)」

 

オズ「(再びお辞儀をしながら)」恐れながら、へい、もしお手隙であらせられますならば、陛下よりのお言付けをお伝えいたしとうございます。へい。」

 

紳士「殿下よ。陛下には若者オズリックをここへ伺わせられましたところ、この広間にて陛下をお待ち遊ばす由、それ故、陛下には、殿下がレアティーズとお手合わせ遊ばすことに、しかとご異存なきや、それともしばらく先にお延ばしに相成りたきや、伺って参れと拙者をかように遣わされました。」

 

福田恒存

ほぼ今の現代語。全体的に無骨でカッコいい。福田恒存は演劇ガチ勢。(上演もよくしている。シェイクスピアの芝居はテンポが命だから、台詞の5分の2を削った、とか翻訳家らしからぬことも言っている。)黙読していたはずなのに、気づけば声に出してしまう、というような名調子。

全体にちょっとマッチョな感じ。劇に元々あるマッチョさで、ハムレットミソジニーをより感じた。

 

小田島雄志

これも名訳。人によく「学者じゃなくて演劇人になりたかった」と言われる小田島雄志野田秀樹の戯曲のように語呂が良く、自然な喋りというより、面白味のあるセリフに仕上げている。もはや執着と言ってもいいくらい駄洒落に比重をおいた翻訳で、(おそらく)原文に翻訳できない洒落は自前の日本語駄洒落に置き換える、という力技。とくにポローニアスの一連のセリフなどは水を得た魚の様である。

そうした工夫もあり、事件に乏しく若干退屈な戯曲の前半が読み易くなっている。

 

2幕2場

王妃「ことばのあやより早く肝心の用件を」

ポローニアス「あやなどとあやしげなことは申しておりませぬ。王子様は気ちがい。これはほんとでございます。ほんとにお気の毒、お気の毒ながらほんと、いやこれはばかげたことばのあやでした。あやまります。」

2幕2場

ポローニアス「ハムレット様、なにをお読みで?」

ハムレット「ことば、ことば、ことば」

ポローニアス「いえ、その内容で」

ハムレット「ないよう? おれにはあるように思えるが」

 

5幕1場

ハムレット「だれの墓だな、これは?」

道化(墓掘り)「あっしのでさ(……)」

ハムレット「おまえのか、なるほどおまえがそこにいるからな」

道化(墓掘り)「旦那は外にいるから旦那のじゃねぇ。あっしはこの穴の底にいるからあっしのでさ」

ハムレット「墓の底にいるからおまえのだと言うが、そこに横たわるのは、死人であって、生きている人間ではあるまい。どうだ、そこつもの、お前の嘘も底が割れたぞ。」

道化(墓掘り)「なあに、それであっしの墓がそこなわれたりはしませんぜ。いかがです、そこもとのご返答は?」

いっぽう、真面目なシーンのセリフの滑らかさやかっこよさもかなりのもの。

ハムレットで一番有名なセリフ「生きるべきか死ぬべきか」を「このままでいいのか、いけないのか」として話題になったのも小田島訳。

3幕1場

ハムレット「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。

どちらが立派な生き方か、このまま心のうちに

暴虐な運命の矢弾をじっと耐え忍ぶことか、

それとも寄せくる怒涛の苦難に敢然と立ち向かい、堂々と終止符をうつことか。死ぬ、眠る、

それだけだ。眠ることによって終止符はうてる、

心の悩みにも、肉体につきまとう

かずかずの苦しみにも。それこそ願ってもない

終わりではないか。死ぬ、眠る、

眠る、おそらくは夢を見る、そこだ、つまづくのは。

この世のわずらいからかろうじてのがれ、

永遠の眠りにつき、そこでどんな夢を見る?

それがあるからためらうのだ、それを思うから

苦しい人生をいつまでも長びかすのだ。」

 

翻訳の言語感覚の違いで、戯曲の質感がまったく変わる。個人的にちょっと硬いと思っている集英社文庫の永田玲ニ訳と小田島訳を比較してみる。

Aは永田訳。Bは小田島訳。

 

3幕1場の最後で、ハムレットを警戒するクローディアスのセリフ。

A「上に立つ者の狂気には厳しい警戒を要する」

B「高貴なものの狂気。これは捨ててはおけぬだろう」

 

3幕3場、礼拝堂にてクローディアスが兄殺しの罪悪感から祈りを捧げているシーン。

A「(立ち上がって)言葉は空に舞いあがり、心は地上に釘づけ、心にもない言葉がどうして天にとどくものか」

B「(立ち上がり)ことばは天を目指すが、心は地にとどまる、心のともなわぬことばがどうして天にとどこうか。

 

4幕7場 復讐にはやるレアティーズに対し、唐突に父を愛していたか尋ねるクローディアス

A「なぜそんなことを聞かれます?」

「父親を愛していなかったとは思わぬが、愛もやはり時間の中で生まれるし、その後の成りゆきをながめていると、燃えさかる火も時間の支配をまぬがれぬ。愛の炎そのもののなかに一種の芯や燃えかすがあって、それが火勢をそいでしまう。良い状態がいつまでも続くものではなし(……)」

B「なぜそのようなことを?」

「お前が父親を愛していなかったと言うのではない。だが愛が生まれるには時というものがある。わしもいままでさまざまな例を見てきたが、愛の火花を支配するものはつねに時なのだ。愛の炎のなかには一種の燈芯(とうしん)のようなものがあって、それがやがて火勢を衰えさせもする。なにごとも最善の状態を永久に維持することはできぬ。」

 

 

④松岡和子訳

ちくま文庫版。それまでの翻訳の美点を取り入れたり、研究で分かったことを反映させている。

ややこしいところ、解釈が分かれているところを、安易にわかりやすさ優先で訳してないように思う。

そのため、意味がちょっとわかりにくいセリフなどもあるが、そういうところは、注釈で諸説を紹介した後「いずれにせよ謎めいた台詞」などとある。誠実な訳。ちくま文庫版を読んだが注釈が充実している。

 

※以下の画像はいずれも『ハムレット』(松岡和子訳 ちくま文庫)

ハムレットの一人称が「僕」と「俺」の2種類ある。

5幕1場

レアティーズ(ハムレットに掴みかかる)悪魔に食われろ!

ハムレット ご挨拶だな。頼む。喉から手を離せ。俺は怒りっぽくも喧嘩っぱやくもない。だが、いざとなると危険な男だ。気をつけたほうがいい。手を離せ。

 

その少しあと、

ハムレット なあ、レアティーズ、なぜ僕をこんな目にあわせるんだ。君にはずっと好意を持ってたのに。

 

一人称の違いとともに、全体に他の登場人物に与える言葉もやわらかい印象。以下に例として小田島訳と比較する。

5幕2場

(小田島訳)

ハムレット 剣にかけてはきみは血統書づきの名犬。おれは野犬にすぎぬ、まずはきみの引き立て役だ。

レアティーズ おからかいを。

 

レアティーズ これは重いようだ。他のを見せてくれ。

ハムレット これでいい。長さは同じだろうな?

オズリック 同じです、殿下。

 

(松岡訳)

ハムレット レアティーズ、僕は君の引き立て役。未熟な僕が闇夜なら、君の腕前は輝く星だ。まばゆい光を放つだろう。

レアティーズ ご冗談を。

 

レアティーズ これは重すぎる。別のを見せてくれ。

ハムレット これがいい。どの剣も重さは同じだね。

オズリック はい。殿下。

 

とくにホレイショーを褒めるセリフのハムレットがかわいい。

ハムレット おうい、ホレイショー!

 

   ホレイショー登場。

 

ホレイショー はい、殿下、ご用でしょうか。

ハムレット ホレイショー、これまでいろんな人間とつき合ってきたが君ほど出来た人物はいない。

ホレイショー 殿下、何をまた。

ハムレット いや、お世辞と取らないでくれ。

君を持ち上げたってどんな出世が期待できる?

だって君の財産といえば真っ直ぐな心だけ、

衣食にもこと欠くありさまだからな。

貧乏人にお世辞を言ってもはじまるまい。

犬のようにじゃれついてご褒美がもらえるなら、

いばりくさった馬鹿者の手を甘い舌でなめるのもいい。

七重の膝を八重に折ってぺこぺこするのもいいだろう。

まあ聞いてくれ。俺が自分の心でものを選び

人を見る目ができてからは、

君こそ心の友と決めたのだ。

君はどんなに辛い目にあっても、辛さを顔に出さず。

運命が下す打撃も恩賞も 等しく感謝の心で受け止める。

いいなぁ、そういう人間は、

情熱と理性が見事に調和しているから、運命の女神の笛になって

いいなりの音を出すこともない。

激情の虜にならない男がいたら俺にくれ。

この心の中心に、心の奥底にしまっておこう。

君がその男だ。

ちょっと褒めすぎたかな。

(3幕2場/132p)

 

河合祥一郎役 角川文庫(2003年刊)

2003年に行われた野村萬斎主演の「ハムレット」公演のためにされた翻訳で、上演に先立ち『新訳 ハムレット』の名で角川文庫の1冊として出版された。

訳者後書きによると、この翻訳の主な特徴は3つ。

①上演のため、セリフの訳は、音の響きやリズムにこだわった。

②(2003年時点では)日本で初めてフォリオ版を底本とした。

③To be, or not to beの訳を「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」とした。

とある。

 

①について。

主演であり、翻訳を河合に委託した野村萬斎自身が、「台本の最初から最後まで、すべての台詞を一行一行声に出して読み上げ、ダメ出しをし、じっくりと磨き上げてくれた(『新訳 ハムレット』訳者のあとがきより p220)」そうで、

そうして出来上がった上演台本に、その公演の演出家であったジョナサン・ケントがカットした約870行(全体の22%)を加えたものがこの翻訳戯曲。加えた部分は河合単独で訳したものの、何度も声に出しながら、上演台本と同じレベルの日本語を目指したという。

②について。

ハムレットの元台本は、1604年の第2クォート(四折本)版と、1623年のフォリオ(二折本)版があって、市販されている英語のハムレットの台本は、この二つの折衷が主流であり、これまでの(2003年時点)日本語翻訳台本もすべて折衷版を元にしてきた。

しかし研究が進み、先に出たクォート版(以下Q)は草稿レベルであり、実際の上演に使われてきたのはフォリオ版(以下F)ではないかという見方が強まってきた。そうした流れも受け、この翻訳ではFを底本とし、Q固有の台詞などは脚注に持ち込まれることになった。

よってこの翻訳本では、Fの「ハムレット」が読め、かつ、脚注を参照することでQの台詞がわかり、折衷版がどのように折衷しているかがわかる仕組みになっている。

 

(FとQの違い)

FはQに比べて装飾的なセリフが削られ、一部の長いセリフがカットされている。

大きいところではオズリックがレアティーズとの決闘についてハムレットの意思を確認するシーン。ここはだいぶやりとりがすっきりしているほか、オズリックが去った後に登場する、ダメ押しの如く決闘の意思を確認しにくる紳士はFでは出てこない。

また、登場人物の名前を繰り返し読んだり、間投詞的なセリフが増えている。

以上の結果、よりすっきりとして臨場感のある上演台本的な稿であると言える。

 

③について。

じつは今まで「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と人口に膾炙した訳文を採用していた「ハムレット」翻訳はなかった。ということで、それを採用した初めての訳、ということでした。訳者あとがきのなかには、「To be, or not to be」の歴代訳を抜書きし、「生きるべきか死すべきか〜」の翻訳史がわかるおまけコーナーがある。

 

以下、大島の(主観的でテキトーな)感想。

これも名訳と言われている。僕自身高校のときに読み、内容がすっと頭に入ったような印象があり、読みやすい訳だと思っていた。

 

① にあるとおり、セリフとしてカッコいい、音が読み上げやすそうな翻訳だなぁとは感じる。

今回ざっといろんな翻訳でハムレットを読んでみて、福田恒存くらいまでは、モダンに訳そう、会話で使う日本語として自然に訳そう、という意識があったように感じたが、

駄洒落ばっかり言ってる小田島訳などのように、時代が下り、日本語としてこなれた訳はもうあるから、今回はセリフとして更に面白く訳そうという意識も感じる様になった。

(なんか現代口語演劇を経て、不自然でも面白いセリフがあるのも演劇の魅力だよね、という改めてそういうことやる反動みたいな演劇の流れもできてきたことを連想したり)

 

今回改めて読んだ感想として、この翻訳の基調はずばり、「カッコいいハムレット」だと思った。ちょっと厨二病感もある。福田訳とかに特に感じたマチズモ感と、厨二感が復活してる感がある。

 

以下、読んでて印象に残ったところ。

ハムレット 倹約、倹約だホレイシオ。葬式用に焼いたパイが、冷めたらそのまま婚礼の食卓を飾るのだ。こんなつらい目を見るくらいなら、ホレイシオ、天国で憎い仇に会ったほうがましだ。父上ーー父上が目に見えるようだ。

ホレイシオ え、どこに、殿下?

ハムレット 心の目にだよ、ホレイシオ。

ホレイシオ 一度お会いしたことがあります。ご立派な王でした。

ハムレット どこから見ても、男の中の男だ。あのような人には二度と会えまい。

ホレイシオ 殿下、昨夜、お見かけしたように思うのですが。

ハムレット 見た? 誰を?

ホレイシオ 王を。殿下のお父上を。

ハムレット 父上を?

(1幕2場 27ページ)

「心の目にだよ〜」のセリフに注釈がついており同じページの脚注で「心眼で真理を見抜くことは、この芝居の重要な主題の一つ」とある。

しかしそんなことより、私が発見したのは、この会話が軽くギャグになっていることである。解説するのもなんだが、「あのような人には二度と会えまい」と言ったすぐあとに「昨夜見ましたけど」っていうのは、完全に馬鹿にしてる。ホレイショー(ホレイシオ)には常日頃から、硬質で厨二がかったハムレットをこうして、からかうようなところがあるのかもしれない。

ここにいたり、もう2人はできているのが前提で読んでいるおれがいる。

(この『新訳 ハムレット』は他の翻訳より遅れること2月あまり後に読了されている。その間に『ボクたちのBL論』(サンキュータツオ春日太一著/河出文庫/2018年刊)を読んだこともあり、大島はいま、関係性からBL的ものを感じる力が上がっている。)

 

亡霊(前略)わしは果樹園で眠っているところを毒蛇に噛まれたことになっている。ーーわしの死について、デンマーク中の耳に嘘という毒が注がれたのだ。ーーだが知るがいい、気高い息子よ、そなたの父を噛み殺したという毒蛇は、今、頭に王冠を戴いている。

ハムレット わが魂の予感どおりだ! 叔父が!

(1幕5場47p)

 

やっぱりちょっとcyuuniを感じる。

ここは松岡和子訳だと

「心の予言は的中した! 叔父が!(ちくま文庫/58p)」

小田島訳だと

「おお、この心の予感にあやまりはなかった! やはり叔父が!(白水Uブックス/54p)」

となっているシーン。

 

翻訳の巧みさについては、やはりハムレットの特徴として、シリアスなセリフと同時に出てくるギャグ、駄洒落などが良く訳されているところからも見てとれる。

以下は、劇中劇での王の毒殺シーンを見て、顔色を悪くして退出したクローディアスについての、ホレイショーとのやりとり。

 

ハムレット いやさ。泣いて逃げろや、手負の牡鹿(おじか)確(しか)と見えたり、傷持つ足よ。夜も寝られぬ、わが叔父(おじ)か。仕方(しかた)なし、これも浮世の習わしよ。

どうだ、これで、この先運命に見放されても、帽子に羽根飾りを山ほどつけて、メッシュの靴に大きな赤薔薇のワンポイントで決めて、俺も役者の仲間入りだ。

ホレイシオ 半人前でしょう。

ハムレット 一人前だ。知っていようぞ、わが友よ、元は、この国ゼウスが御国、それを奪いて、今、治むるは、語るに落ちたるーー下衆野郎。

ホレイシオ 最後まで謡えばいいのに。

ハムレット ああ、ホレイシオ、亡霊の言葉に大枚払ってもいいぞ。見たか。

ホレイシオ はっきりと。

ハムレット 毒殺の話をしたとたんだ。

ホレイシオ 確と見ておりました。

ハムレット ようし、音楽だ。さあ、笛を持ってこい。お気に召さぬは、お芝居か。それでは奴もおしまいか。さあ、音楽だ。

(3幕2場/119p)()は大島が追記。

ホレイショーは平静ハムレットをずっとからかうけど、まじめなところでは100%の忠臣振る舞いをするあたりにぐっとくる。でもなぁ、のちに書くけど、

精度が高く、訳出されていることもあってか、

また、時間を経て再読したこともあり、

改めて、この戯曲の持つ、マチズモとミソジニーを強く感じた。

上のシーンの前の、王殺しの芝居をみんなで見る前の、ハムレットとオフィーリアのやりとりなんかは、よく訳されているだけに、ハムレットのセクハラをひどく感じる。

 

ハムレット おひざに寝てもいいかな

オフィーリア いけません、殿下。

ハムレット 頭をひざに載せるだけだよ。

オフィーリア ええ、どうぞ、殿下。

ハムレット 何かいやらしいことを言ったと思った?

オフィーリア いえ、何でもありません、殿下。

ハムレット それはまた乙女の股(また)にふさわしい考え方だね

オフィーリア 何がですか、殿下。

ハムレット ナニがありませんって言ったろ。

オフィーリア ご機嫌ですね、殿下。

ハムレット 誰が、俺が?

オフィーリア ええ、殿下。

(中略)

   前口上役登場。

 

ハムレット すぐにこいつらが教えてくれる。役者というのは秘密を守れない。何もかも話しちまうんだ。

オフィーリア このお芝居の意味を教えてくれるんでしょうか。 

ハムレット ああ、君がショーをやってくれれば、その意味もね。君が恥ずかしがらずに見せてくれれば、向こうも恥ずかしげもなく教えてくれるさ。

オフィーリア おふざけがすぎます。私はお芝居を観ます。

前口上役 我らと我らの悲劇のために、こうして身を屈めてご寛容を乞い、ご静聴のほど、願いあげます。

ハムレット これは前口上か、指輪の銘か。

オフィーリア 短いですね。

ハムレット 女の愛のようにな。

(3幕2場/110~113p)