ローリングあざらし撲殺活動記録

その軌跡。議事録。文章置き場。その他なんでも。

2023.3/4(土) ハムレット会前夜⑥ハムレットのスピンオフ作品紹介

 

ハムレット』のスピンオフ作品紹介

 

『クローディアスの日記』志賀直哉

○月○日 といったように、クローディアスが書いた日記、という形式の短編小説。

クローディアスは兄王を殺していない(と、少なくともこの日記の中では言っている)

反面、ガートルードに対しては兄の生前から強い恋愛感情を抱き続けていて、兄の死後、ガートルードと結婚したできたことを喜び、それを断行ができた自分に強い誇りを感じている。

なぜかハムレットを高く評価しており、ポローニアスを低く見ている。しかし、芝居を見て、ハムレットが兄殺しを疑っていることを知って激怒する。どんだけ物語脳なんだ、この演技的人格野郎! ポローニアスも殺されるし、いよいよ、やつをイギリス送りにするしかない。この計がうまくいけばいいが、というところで日記は途切れている。

 

スピンオフ&原作改編ものとしてはすごくシンプルな構造。でも日記って著者の言っていることが真実か全く信用できないので、その辺を考えるともうちょっと複雑な作品かも。

 

 

『新ハムレット太宰治

ほとんどセリフだけで構成されている戯曲形式の中編小説。本人はレーゼドラマ(上演ではなく読むための戯曲)だと言っている。ハムレットの登場人物の名を借りた妄想にすぎない。みたいな作者の言い訳から始まる。

とにかく長台詞の応酬で、ハムレットの登場人物がぺらぺらぺらぺら無限に喋る。ポローニアスのレイティアーズに対する説教の場面とか、本編よりも長い。登場人物みんな、太宰の小説に出てくるっぽいの口調で喋り、物の見方や感じ方も太宰っぽい。(ねちねちと持って回った言い方。自虐。言い訳に次ぐ言い訳。人間不信。まじめに生きたいのに、世界が私にひどい。)

終わりが中途で、綺麗にまとまっていないことも含めて、習作的な、私的要素の強い作品だなぁという印象。読み終わった瞬間の感想は「すっごい駄作!」

でも、こんなすっごい駄作を惜しみなく読者の目に晒してくれる太宰ってやっぱいい作家だなと好感度が高まった。

改変の例として、登場人物を現代人っぽくすると、行動のダイナミズムがなくなり、話が小さくなってしまう、という発見があった。

 

↓『新ハムレット』はこういう感じ

 

ポロ「レヤチーズも、これから、人に褒められたいばかりに、さまざま努力するだろうが、そんな時に、世の中の人、全部があれを軽薄に褒めても、わしだけは、仲々に褒めてやるまい。早く褒められると、早く満足してしまう。わしだけは、いつまでも気むずかしい顔をしていよう。かえって侮辱をしてやろう。しかし、最後には必ず褒めます。謂わば、最高の褒め役になろう。大いに褒める。天に聞えるほどの大声で褒める。その時あれは、いままで努力して来てよかったと思うだろう。生きている事を神さまに感謝するだろう。わしは、その、最後に褒める大声になりたくて、どうしても百九歳、いや百八歳でもよい、それまで生きているように心掛けて来たものだが、このごろ、それが、ひどくばからしくなって来た。褒めたくてもこらえて小言をいうのは、怒りたいところを我慢するのと、同じくらいに、つらいものです。そんなつらい役は、お父さんでなければ引き受ける人はあるまい。親馬鹿というんだね。親の慾だ。お父さんは、レヤチーズを、うんと、もっと立派にさせたくて、そんなつらい役をも引き受けようと、思っていたんだが、なんだか、このごろ、淋しくなった。いや、お父さんは、まだまだ、これからもお前たちには、こごとを言いますよ。さっきも、レヤチーズには、あんなに口うるさく、こごとを言いました。けれども、言った後で、お父さんは、ふっと心細くなるのです。つまりね、教育というものは、そんな、お父さんの考えているような、心の駈引きだけのものじゃないという事が、ぼんやりわかって来たのです。子供は親の、そんな駈引きを、いつの間にか見破ってしまいます。どうだい、わしにしては、たいへんな進歩だろう。レヤチーズは、しっかりしているけれども、やっぱり男だけに、まだ単純なところがあります。お父さんの巧妙な駈引きに乗せられて、むきになって努力するところがあります。それは、あれの、いいところだ。それを知っているから、お父さんも、レヤチーズには時々、駈引きをして、しかも成功しています。さっきお父さんが、大声でさまざまの注意を与えてやりましたが、レヤチーズは、うるさいと思っていながら、やっぱりお父さんの気をもんでいる事を知って、心底に生き甲斐がいを感じて出発したのです。けれども、オフィリヤ、ねえ、オフィリヤ、もっと、こっちへお寄り。お父さんが、さっきから、何を言いたがっているのか、わかりますか?」

 オフ。「あたしを、叱しかっていらっしゃるのです。」

 ポロ。「それだ。すぐ、それだ。お父さんはね、それだから、お前がこわいのです。このごろ、めっきり、こわくなった。お前には、わしの駈引きが通じない。すぐ見破ってしまう。以前は、そうでもなかったがねえ。」(太宰治『新ハムレット青空文庫)

 

 

話の筋の大きな違いとしては、ハムレットは亡霊を見ず(噂として王の亡霊がこういうことを言っているというのを聞く)クローディアスが父を殺したと思ってない。なのにポローニアスがクローディアスが犯人だと息巻いて、ハムレット、ホレーショー、ボローニアスで芝居をする。芝居をしても何も起こらず、あー馬鹿馬鹿しかったとなる。でもクローディアスは内心めちゃくちゃ怒ってて、ポローニアスを呼び出し、叱る。ポローニアスは自分が先頭に立って糾弾することで、兄殺しの陰謀論を馬鹿馬鹿しいものにする策だったと主張するが、二人の喧嘩はこじれにこじれて、クローディアスによってボローニアスは殺される。後日クローディアスの様子から、ボローニアスを殺したのはクローディアスだとハムレットは感じ取り、波乱の予感、といったところで終わる。

 

 

『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』トム・ストッパード

トム・ストッパードが20代で執筆し、66年のエジンバラ演劇祭で初演、その後、ロンドンやニューヨークでも上演されて成功を収め、作家の名を高めた作品。

 

進行するハムレットの劇の舞台裏で、ローゼンクランツとギルデンスタンがぼんやり時間を過ごしている姿が描かれる。

コインを使った賭けをしているシーンから始まるが、もう76回も連続で表しか出ていなくて、この世界がまともな世界でないことがわかる。というより、賭けに負け続けているギルデンスターンはまともな世界じゃないことを疑い、勝ち続けているローゼンクランツは気づいていない。

 

そのうち、どこからともなく『ハムレット』の登場人物が現れ、二人を加えて劇が進行する。このパートのセリフや展開は原作『ハムレット』に忠実であるがゆえに、いっそう不条理極まりなく、なかなかホラー。

 

二人が『ハムレット』に登場していない間、のんびりしたり、ぼんやりしているところは現代劇的な文体でありながら『ゴドーを待ちながら』の影響を強く感じる。頭が回って神経質なギルデンスターンと、おおらかなでぼんやりしているローゼンクランツはウラジミールとエストラゴンの関係に似るし、またお互いのことを略称「ギル」と「ロズ」と呼び、お互いにお互いしかまともな話し相手がいない感じもゴド待ちに似ている。また途中で二人に絡んでくる、ハムレットの登場人物、劇団の座長もかなりポッツォっぽい。

 

二人が言うには明け方に名前を呼ばれ、無理やり呼び出されて、どこへ行くのか、何をさせられるのか、目的もはっきりしないまま、今ここにいて、与えられた役割を放棄することもできず、何もわからないけれど、とりあえず「劇」に沿って、進んでいくしかない今がある。というのは不条理な状況のようで、明らかにわれわれの人生もこうなっているという現実世界が描かれている。

 

トム・ストッパードの劇の常として、展開が複雑(『アルカディア』など)だったり、不条理(本作)だったとしてもそこで交わされる会話はピュアで切ない。

 

ロズ、甲板を調べて、甲板をペチッと手で叩く。

 

ロズ いい床板だ、これ

ギル ああ、俺は船って好きだな。この、なんていうかーー全部が入ってる感じが。どっちへ行くとか、そもそも行くべきかなんて何も気にしなくていいーー疑問なんか浮かばない、だってもう船に乗っちゃっているんだから。船は、鬼ごっこの時に基地の中にいるように安全……役者だって音楽が始まるまでは板についてじっとしているだけでいい。……これから先ずっと船の上で生活しようかな。

ロズ いいね。健康的で。

『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(トム・ストッパード、小川絵梨子訳、早川文庫、2017年)