ローリングあざらし撲殺活動記録

その軌跡。議事録。文章置き場。その他なんでも。

3/5日のリモート勉強会(本の紹介会)報告① 大島

概要

時:3/5 14:00~17:00すぎ(休憩込み)

場所:Discord(通話アプリ)

参加者:大島、半田、山下、見学にきてくれたFさん。

 

リモートの勉強会を初めてやった。

勉強会といっても、学生カップルがファミレスでテスト対策するが如く、同じことを一緒に勉強するのは難しいから、それぞれが勉強したことを報告するという形で行った。

それが「読んだ本の紹介会」だ。(企画書は前記事にあります)

 

ただの雑談にならないように、紹介するポイントとして、

①本の内容。

②本の内容から自分が学んだこと。

の2点を確実に押さえる。という縛りを作った。

逆にいえば縛りが2つしかなく、プレゼンの仕方などに各々の個性が出る発表になった。

 

メンバーはゆる募した結果、発表者が3人。見学者が1人。順次参加するという形になった。

本の紹介は一人あたり30分くらいに収まるように時間を測った、その後、質疑応答や雑談をした。なぜかこちらの方は規定の時間を設けなかっため、なんとなく雰囲気で次に進んだ。

全員の発表(&質疑応答)後、勉強会全体の感想/反省をいう時間を設けた。

トータルで約3時間の会となった。

以下、それぞれの発表について、メモやレジュメを元に、大島視点でまとめていく。

この記事では1番手の山下の発表について書く。

 

◎山下の発表

鈴木孝夫『教養としての言語学岩波新書、1996年

・レジュメあり↓

https://drive.google.com/file/d/156NSt5aqUP1NruULWpBMv0za22fOBjqw/view?usp=sharing

山下曰くこの発表は、

書いている知識を紹介するわけではなく、興味深いと思った一文を紹介する。

「推しの話」くらいの感じで聞いてほしい。

とのこと。

 

まず言語学のことと、著者のことを紹介してくれた。

言語学には曖昧なところがあって、同じ言語学者でも、人によって見解が全く異なる。この本に出てくる言語学も、著者による独自の言語学で、尖っている。」

と言っていた。

(「学問」なのに人によって見解が異なるような「曖昧さ」があるところが面白い、ということだろうか。)

 

また印象に残ったコメントとして、

「(言語学について)人間は言語を扱う生き物だから、どうしても気になる。」

と言っていた。

著者紹介についてはメモが不十分なので書かない。しかし、著者紹介は良い。必要。と思ったことは覚えている。

 

レジュメを用意してくれていたのでみんなで読んだ。はじめは山下が全部読んでくれていたが、半田くんの提案で国語の授業のように、聞き役の大島と半田くんで回し読みすることにした。

以下、レジュメのなかで印象に残った部分、それについて思ったことを書く。

 

「音声によるコミュニケーションのメリットは、間に何か障害物がある場合、または暗くてよく見えない場合でも機能すること」

「(音声は)匂いがする物質を出すタイプのコミュニケーションよりも風の方向や距離の影響を受けにくい。」

↑印象に残った記述。

淡々とした調子で記述されているが「音声によるコミュニケーション」と「匂いがする物質を出すタイプのコミュニケーション」を比較しようという発想が、生まれてきてこのかた自分の中になかったため非常に新鮮に感じた。

これが山下のいう「尖り」なのか、言語学の幅広さを早くも感じた。だって「日本語だとどうで英語だとこう」とかそういう問題じゃなくて、「遮蔽物があっても音なら届けられる」「匂いと違って風の影響を受けない」とか、物理的な、生物学的な視点で言語というものが捉えられていた。

 

「人間がコミュニケーションにつかう音声は呼吸の二次利用であり、費やするエネルギーが非常に小さい」

という辺りも新鮮だった。費やすエネルギーとコミュニケーションの関係を考えたことがなかったし、「呼吸の二次利用が声」という話にはなにか想像力を刺激する広がりがあり、更に色々なことが考えられそうだ。

 

また言語学とは直接関係のないことだが大切な話として、

「(教養とは)たくさんの知識を身につけることではない(略)重要なことは知識を自分の中で位置づけ、行動の指針となるような方向性を育てること」

という一文を山下は紹介し、自分のなかでどう響いたかというようなことを教えてくれた。

「知識というものはあるだけで威張れるものではない。行動や生き方のための準備作業である」ということだろうか。

 

レジュメのなかにあった「『知識を喋れるようにならなくてはいけない』と思っていた」というような一文から「知識ってなんだろう」「ひけらかすことと、そうではないことの違いってなんだろう」というような話になった。

 

僕自身としては「知識をするする出せる人」というのは、その分どこかでインプットしているはずだから、それだけでもエライと思う。そして「喋って誰かに伝える」ということは知識の典型的な利用法で、コミュニケーションの一環で、悪いことじゃない。知識を人に話すことで、自身の記憶にも定着するし、自分自身がよく理解できてない所がわかったりする。誤りを直接的に指摘されることもあるだろう。自分の知識を晒すことで、違う意見、さらに詳しい情報を得ることも多いだろう。

 

一方で山下のレジュメ/話に共感するところも大きい。

僕自身にもそのキライがあって恐れているのだが、生半可な知識を喋っている奴がひどく的外れで、なんというか「魅力的じゃない」ことがままある。

その場にも、その場の聞き手にもそぐわない、肝心なものが抜け落ちたまま、断片的な知識をぺらぺら吹き出している、というような。

再三曖昧な表現ではあるが、真実、そういう語り手にはひどく「魅力がない」のだ。

「お前は今話してることに本当に関心があるのか?」「結局、本当に愛しているもの、本当に憎んでるものはなんなんだ?」と言いたくなるような。

 

コミュニケーション能力(例えば人の話を聞くとか)があれば、知識はなくてもコミュニケーションは成立するだろう。

だが話を受け取ったり、自分から発信したりする、コミュニケーションってやっぱり、その場で話を聞いて得た知識とか、自分自身のなかの知見を、どう使うか、っていうことで、

それが「知識を扱う能力」=「知性」というか、コミュニケーション能力の基盤のひとつだ。

何かを語ったり考えたりするときに、僕自身よく見失いがちな、

自分の立ち位置/傍観者か当事者か/話の全体像/話の外にあることについての認識。それらを見失わないためには、準備しておく必要がある。それはバラバラの知識をたくさん集めるより、大事なことだ。

 

話がだいぶそれてしまったが、山下が引用し、伝えてくれた「自分で考えることのできる教養のある豊かな人間になりたい」という言葉にはとても共感する。僕自身そうできればいいと思う。

 

フィード・バック/Q&A&Z(雑談)

Q.引用文以外の本書の内容は?

A.「それ」や「これ」などの指示語のはなし、「人称」のはなし、etc…etc…

Z.「職場の年配の人が言葉にうるさい。何かを混同したまま話し続けたり、ニュアンスで喋ることが許されない。自分はけっこうテキトーに話してきた。だけど相手によってはテキトーに話せない」

Z.「好きなものについて喋ってるときって自分のことを考える/喋る必要がない。キライなものについて喋っているとき(どうして嫌いか、その理由は?など)自分について考える。ほんとは自己紹介のときは好きなものよりキライなものについて喋った方がその人がわかるのでは?」

 

まとめ

よい発表だった。内容が硬めで話が盛り上がるか(主催者特有の杞憂)浅はかなおれは心配していたが、むしろ、内容が固い(学問的だったりする)ほど、話がたくさんでてくるのかもしれない。

3人しかいないのに、つぎつぎと感想や疑問や雑談が出てきて、むしろ時間が足りない程だった。

言語学というものがなんなのか、イメージがゼロで、よって関心もあまりなかったが、これからは「山下が興味を持っている分野だ」と贔屓できる気がする。自分以外の人が興味を持っている分野だから、自分も気になってくる。勉強会にはそういう効果があるみたいだ。紹介してくれた本を読みたくなった。

この記事を書くために山下の書いたレジュメを読み返したが、発表のときに感心した部分とはまた違うことを考えたりした。

(たとえば著者紹介の濃さ。発表時は流し聞いていたが、改めて読むと著者の専門は「言語社会学」で「社会言語学」とは別らしい。しかしそもそも、どちらもよく知らない分野なので気になる。どう違うのかも気になる。言語学以外でも鳥類に関心が深い人だったりしたことなどが興味深い。)

レジュメは発表の時に役立つだけではなく、後にも残るからとても良いと思う。