宣伝について遅まきながら思い出したこと
若い頃(22、3のころ)僕は劇場公演をした。
それまで人が劇場でやる公演に役者として出たことはあったが、主宰、劇作、演出という立場で公演を打つのは初めてだった。
そのころは大学生で、稽古場にも困らず、親の金で公演を打ったわけだが、確か120人くらいの動員であった。
そのときの僕は今思うと狂っていた。
ゲネプロ(ドイツ語。劇場に入ってから行う、スタッフワークも含め、本番同様でやるリハーサル)の日、客を44人くらい呼んだ役者に対して激怒していたのだ。
なぜなら、そいつがゲネプロ前日にメールやら電話やらで一晩中宣伝していたからだ。
そしてそいつはふらふらのまま、劇場に入ってきた。
「……なんで、僕が怒られるんや! ぼく正しいことしたやろ?」
「しんじらんねぇ」
「ありえねぇ、どうする? 殺す?」
「客の亡者かよ」
「怖すぎ」
そいつにとって悲劇なことに、僕のコアな友達で固められた役者陣のなかには、その役者の行為の崇高さを悟り、彼を庇う、なんてやつはいなくて、僕と一緒に「ありえないね」を連呼しながら、針の筵みたいな空気を醸していた。
唯一、その子を庇ったのは、後輩で今回の公演で初めて一緒になる男の子だった。
「いや、先輩間違ってないですよ。むしろあいつら(俺たち)先輩にお礼言わないとおかしい立場っすよ」
〜〜〜
とにかく、宣伝が苦手だった。
より多くの人に観にきてもらう、ということが、作品をつくる、
ということの遥か下にあった。
ごめんな。Tくん。
いまはあの頃よりもずっと客を呼びたい。
経済的な理由ももちろんある。
稽古場たる、公民館の使用料が地獄のように高い杉並区在住だし(当時は練馬)
小屋代はコツコツ労働しながら、プールした金から支払われる。
だからできればトントンで行きたい。
だが、一番はやはり、見てもらいたい。
ということにつきる。
嫌われて顔を背けられることになろうと、見てもらいたい。
「絶対に面白い」とか「心温まるハートウォーミングストーリー」とかは今も書けない。だって、そんなの嘘じゃん。他人の主観がどうして予め説明できるんだよ。
せいぜい書けるのは事実、
「ウォンバットの死体が18匹分でます」とか「音響は今まで機材を弄ったことがありません」とか。これは嘘だけど。ああ、そうか、嘘を書いても良いのか。宣伝は。じゃあ↑のは間違ってなかったわ。あ、絶対おもしろいでーす。
あとは、まぁ、素直な気持ち、
少なくとも、この作品を人に見せて、作者が自分であることを、恥じることはないでしょう。きっと。
だから、職場の人や、通ってる美容院の人にも宣伝します。
いや恥ずかしいわ、恥ずかしい芝居やけど、
あなたにも、みてほしい。