ローリングあざらし撲殺活動記録

その軌跡。議事録。文章置き場。その他なんでも。

公演アーカイブ③スタッフワークス

この項ではスタッフワークについて書く。

とはいえ、今回すべてのスタッフワークを2人だけでやったが故に「これはもう芝居じゃないのではないか?」という疑問がある。

どういうことかというと、以下に書いた通り、全てのスタッフワークをきちんとこなせたはずは当然無く、すべて場当たり的に、必要最小限のことだけやったという感じなのだ。こんな甘いもんじゃないし、こんな時間をかけずにできることじゃないし、詳しい人からしたら突っ込みどころが死ぬほどあるんだろうな、と思ってやった。

やはり色んな道のプロフェッショナル、あるいは異能者が集まってこその舞台芸術であり、たった2人やらなんやらで、全部しようというのは、傲慢と言うか、頭を空っぽにして、雑にこなすことへの抵抗を減らすことによって実現した気がする。

 

まぁ結局はそれも芝居なのだが、演劇のポテンシャルはもっとあるはずだから、この作風にこだわる理由はないし、次やるときはもっとマンパワーに頼りたいなという感じではある。

だが、良くも悪くも個性がだだ漏れであったし、雑、というのは、一つの方法論だよな、と思った。何が雑で良くて、何が雑ではダメなのかわかったら、もはやそれは本とか書ける気がする。そして、詳しい人から見たら突っ込みどころがいっぱいあるんだろうな、というのは紛れもない事実でしかないが、詳しくないからこそ、こんなやり方になったんだな、というところには、発見もある気がする。

 

さあ、御託はもうやめて、具体例の報告へいきますぞ。

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受付時に着用した名札

名札

打ち合わせで「さっきまで受付をしていた我々がそのまま舞台に出て、演技し始めるということは気持ち悪いのでは?」という議題が出た。

これを解決するため、名札を使う事にした。受付時は「制作」という名札をつけ、本番をしているときは「役者」という名札をつけた。

他にも劇中に音響をいじるときは「音響」、照明をいじるときは「照明」の名札をつけることにした。これだけのことで、思いのほか違和感が緩和された。アンケートでも名札に付いてはポジティヴな反応が多かった。

 

演出

今回はリーディング公演であったが、全編イスに座って読む、という形式は避けたかった。その形式で面白いものを作れるほど、戯曲の執筆力と演技力に自信が無かった。なので演出は必要だった。

 

演出は駆け足で行われた。そのシーンは読むか、覚えるか、棒立ちか、小道具を使うか、くらいだけ決め、それがどのくらい有効かみたいなことは一切考えずに進みつづけた。また出ハケはどうするか、小道具はどこからきて、どこへ行くのか、みたいなことは全部ギャラリーに行ってみないとわからないとして、一切考えなかった。

小屋入りした日の、本番と同じギャラリーを使った稽古でようやくすべてのシーンで何をするかが決まった。小道具のおける棚と、後ろにハケられる舞台裏スペースがあったので、小道具と出ハケの問題は解決した。

 

小道具としてのテキスト

今回のリーディング公演では(物理的に)色んなものを読んだ。

自由帳やらハードカバーやら次々読むものを変えたり、団扇であおいでるフリして貼り付けてあるテキスト読んだり、黒板に書きながら読んだり(これは覚えてるけど)スマホをいじりながらスマホを読んだり、何も書いていない大きな色画用紙を読んだり(これも覚えてる)原稿用紙を読んだり、最後の最後でただの稽古用台本を読む、というのも熱かったと思う。

読む内容に合わせて読む者を変えるというのは、わかり易く、動きに変化があるし、練習も慣れるまでわずかにするだけで済んだし、有効だったと思う。なんでも安直にやってみるものだと思った。

 

美術

ギャラリーを選んだ時点で、ある程度の美術的選択をした気がする。

下見の段階で、舞台面をどう使うかだけ決め、後は特になんの図面も書かず、イメージラフも妄想も、何にもなかった。

演出と同じく、現地についてから、すべてを決めた。

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舞台裏。とても快適だった。このソファは客席に使うか悩んだ、客席の質を露骨に差別するのは面白いと思った。

まず、舞台裏を作っているパーテイションを動かすことによって、舞台面を拡張するかどうかの判断をした。パーティションの裏に隠されていたソファや流しや冷蔵庫などを客に見せるのは魅力的に思えたが、今回はとくにそれを利用する腹案もなかったので、見送った。舞台裏も欲しかったし、パーティションは色々打ち付けられたりして便利だった。

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見事に調和した100均グッズとギャラリー備品のそれっぽい什器(棚)

美術というよりは小道具を買い漁った。ドンキホーテにも行ったが、出来合いの小道具たちは全く気に入らず、どちらかというと100均の、玩具の類いではなく、日用品や、ちょっとおしゃれな小物などに惹かれた。これは興味深いことだった。

舞台面に大きいものが欲しいときはギャラリー備え付けの家具が活躍してくれた。ギャラリーゆえに、小道具を、それなりに綺麗にディスプレイする什器というか、おしゃんな棚があったので、舞台面に堂々とそれを置き、全ての小道具を並べて見せた。使わなかった小道具や、造花の花びら、瓶、水中眼鏡、水鉄砲、ニセの草のマット、なんかも、さまざまに飾り付けられて楽しかった。壁には黒板のシートを打ち付けた。(ギャラリーだから心置きなく押しピンを刺せるのもよかった)

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意外と使いでがあった黒板シート。本番中以外もタイスケを書かれたりして活躍した。

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また、とても立派なイスが2脚あったので、それを中央に並べておき、足下にペットボトルなんかを置いて、いかにもアフタートークみたいな仕様で、開演することにした。あからさまに、読むぞ、読むだけの舞台だぞ、という見た目。それで、実際に開演して10分も経つと「動くのに邪魔だね」つって、ソレを除けるのだ。とくに急ぐこともなく、トロトロと、まるで今気づいたみたいに。そういう物との戯れ方は楽しかった。

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開演前の様子。役者の名札をつけている可愛い人形たち。

照明

照明については(も!)小屋入りするまで一切何も考えてなかった。

クリップライト3台持っていって、ギャラリーの照明と組み合わせて、このシーンは明るい、このシーンは暗い。このシーンは小道具の明かり使うから全部消す、とかそういうのを決めた。芝居しながらパチパチするのは間抜けな感じで良かった。また、ギャラリーの照明が、3つの区画ごとに、3つのスイッチで分かれてて、それがすごく使い易かった。しかし全ては偶然に過ぎず、本当に無計画であった事は反省した方が良さそうだ。

他の反省点というか、非常に勉強になったのは(今考えると当たり前のことだが)クリップライトで後ろから照らすと、我々からしたら動くための明かりを得られるが、客席からは逆光となって顔が影になるということ。ゆえに上から照らすしたり、前から照らすことが必要であること、色々あると思った。

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ショック! 暗いと顔が見えないのだ。でもそれってなんだか陰気な我々としてはやりやすいなぁ。

また公演後、動画を見たら、もっと自分から照明に当たりに行く動きをすべきだと思った。そうすれば顔が見えるし、何より、照明を意識して芝居している様が、間抜けで、この芝居の演出にあっているし、それってすごく演劇っぽいと思ったが、後の祭りだった。演出として前から見ること、それが出来ぬなら映像を撮って正面から見る事の大事さをまた実感した。

結論:照明は偉大である。

 

音響

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今回は、

①手持ちのウォークマンをスピーカーにつなぐ

②劇場のCDプレイヤーでCDを流す。

③手持ちのiPhoneで音を出す

④レコードプレイヤーでレコードを掛ける。

⑤ギターで適当な音を出しながら、唸る。

 

というような方法で音を出した。

うまく行っているところもあればうまくいっていないところもあったが、

どの場合も、わりと音が出ているときに、驚き、とか、間抜けさ、とかがあったのが良かったと思う。

盆踊りをする前に、セリフを言いながら、iPhoneから盆踊りの音を出して、それを握りしめたまま踊っている様は間抜けで可愛いし、これからレコードを掛けるぞ、という面持ちで、お客さんの目の前に、プレイヤーをドンと置いて、わざとゆっくりした動作でレコードをかけたり、あるいは、意味なく、ヘッドホンとかつけて「音響」の名札をつけてから客にお尻を見せて、レコードを掛けるのは楽しかった。かけた後に、ちょっと踊ったりしたが、それも違和感なかったと思う。だって、おれは音楽をかけたのだから、踊りもするさ。そういう音響だった。

 

また音楽を聴くだけのシーンがあった。おれは、レコードをかけ、正座して、それを聴いた。聴く演技ではなく、当然聴いた。ある程度聴いたのち、「憂鬱だ」と呟いた。それは決まっていた。その後、憂鬱だ、憂鬱だと呟きながら、スーツを着て、踊った。明るい曲調の音楽を聞きながら暗いことをいいながら踊った。憂鬱な気持ちをブルースのように繰り返し口に出してみた。でもあくまで体は明るい音楽に合わせてスイングさせた。回によって、お客によって出来不出来があって、これが演劇かはわからないけれど、非常に、生だった。そういうことができてよかったが、そういうことができてしまう、この芝居はやっぱり変な芝居だった。

音楽については、結構思い入れがあるので、脇道にそれた感じになった。

結論:音響は偉大である で締めようと思ったが、音響的な反省はあんまりない。しいていえば、レコードの扱いが雑すぎて、スリーヴを踏んづけたりして、観に来てくれたバイト先の先輩に殴られるかなと思ったけど、そんなことなかった。いい人たちで良かった。

 

制作

一番考えることが多かったので、別記事にて。